日本アイスホッケー連盟は12日、元副会長だった若林仁(メル)さんが9日に死去したと発表した。享年80。カナダ出身の日系2世でかつての国土計画FWとして活躍の後、1990年代まで監督を務めており、日本リーグ時代には選手、監督としてライバルで苫小牧本拠の王子製紙と覇権を巡って数多くの名勝負を繰り広げた。
米・ミシガン大学で活躍した後、デトロイトレッドウィングスと契約しそのファームチームでプレーしてから来日。かつての日本リーグには第2回から参加し、当初は西武鉄道、第7回からは国土計画でそれぞれプレーした。弟は西武の中心的FW選手で札幌イーガー・ビーバーズ監督も務めた後、2015年に死去した若林修(ハービー)さん。
現役引退後、1980年のレークプラシッド五輪では監督を務め、84年から10年間、国土計画の監督に就任。2011年からは日本アイスホッケー連盟強化本部長を歴任した。
死去前日の8日には、当連盟設立50周年記念式典で特別功労賞を受賞。長男で東北フリーブレイズ総監督の若林クリス氏が代理となっていた。