30年

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  • 2025年1月10日

  家屋の倒壊などで6400人以上(関連死含む)の命が奪われた阪神淡路大震災の発生から、17日で30年になる。

   被災地に大学が集中していたことで、亡くなった人には比較的20~24歳が多かった。生き延びることはできても、被災によるさまざまな事情で希望の進路を断たれ、涙を流した若者たちがいる。同級生や先輩、後輩、いとこを失って涙を流した同世代も全国にたくさんいる。

   彼らは当時、思ったはず。もっと、建物の耐震基準が厳しかったなら。自分に防災知識があったなら。地震直後から情報を発信できたなら。復旧に必要な手続きが簡略であったなら。被災者の声を直接、国に届けられたなら…。

   そんな彼らは今、40~50代。今日に至る学校や地域での防災教育の充実、スマートフォンの普及、耐震基準の見直しなどは、被災後に社会に出た彼らが、それぞれ職場や地域で取り組んだことと無縁ではないだろう。同じ苦難から共通の思いを抱き続けた者たちが、水面下でつながり、社会を動かすことがある。

   境遇は選べなくても、生き方を選ぶことはできる。それをよく知り、日本を足元から強くしようと、被災者一人ひとりが地道に取り組んできた30年。思いと力を改めて感じている。(林)

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