「ムード一挙に盛上がる」。1973年8月3日付、本紙社会面トップ記事の見出しは、開基100年と総合体育館開業を祝う市民の胸の高鳴りを表現した。モノクロ写真には、完成したばかりの総合体育館メインアリーナでバスケットボールの試合をする女子実業団選手たちの姿。翌4日は、落成記念の招待バレーボールが催された記事も載った。
男子の松下電器や専売広島、女子のヤシカ、ヤクルトなど当時一線級の実業団チームが集結。72年ミュンヘン五輪バレーボール男子の金メダリスト木村憲治、横田忠義、野口泰弘(松下電器)、同女子の銀メダリスト浜恵子、飯田高子(ヤシカ)らの豪華な顔触れが熱戦を展開し、会場に詰め掛けた観衆約2500人を沸かせた。
苫小牧バレーボール協会の吉田直志副会長(65)は、苫小牧工業高在学時に観戦した。ハイレベルなプレーの数々に胸躍ったのはもちろん、「体育館の広さにも圧倒された」と振り返る。
バレーボール、バスケットボールのコートが優に3面取れるメインアリーナを中心とした屋内スポーツの拠点が華々しいデビューを飾った。オープン後6日間は、ひっきりなしに館内でイベント、大会が行われた。
体操競技も日本体育大、順天堂大の選手らを招待し、演技披露の催しを開いた。「当時としては最上級の床用マットに、学校備品にはない跳馬、平行棒、つり輪など用具一式がそろっていた」と苫小牧体操連盟の沖田秀児会長(70)は回顧した。
自身は教員として中学生に競技指導していた時期。「生徒たちをよく体育館に連れて行った。苫小牧の誇りにできる立派な施設だった」と懐かしむ。
苫小牧パワーリフティング協会の堀田三男事務局長(67)は若かった頃、体を鍛える各種機材を幅広く備えた総合体育館のサーキットトレーニング室を利用するようになったのが縁でバーベルと向き合う競技と出合った。
当時の住居と職場のほぼ中間にあったこともあって、毎日のように通った。「当時は器具を使った筋力トレーニングはまだ主流じゃなかったけれど、地域の高校生や社会人でいつもにぎわっていた」と話す。自身の生涯スポーツを固め、数多い仲間をつくる場にもなった。「自分にとってのホームグラウンドみたいなものです」と相好を崩した。