角界に刻んだ「貴」の系譜/父の最期での後悔/大相撲連載/貴の流儀/下

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  • 2025年6月21日
断髪式を終えた元横綱貴乃花(左)と父で師匠の二子山親方=2003年6月、東京・両国国技館

 断髪式を終えた元横綱貴乃花(左)と父で師匠の二子山親方=2003年6月、東京・両国国技館 2003年1月の大相撲初場所を最後に引退した元横綱貴乃花の花田光司さんは、一代年寄「貴乃花」を襲名した。04年2月には、父の元大関貴ノ花の満さんから二子山部屋を貴乃花部屋として継承。父親譲りの厳しくも愛のある教えで、後に大関に昇進した貴景勝(現湊川親方)らを育てた。

 そんな親子にとって、光司さんの兄弟子にも当たる元大関貴ノ浪(故人)の浪岡貞博さんは特別な存在だった。入門時から父が熱心に指導。光司さんは「長身で素質があったから、おやじは立ち合いで頭からいかせなかった。頭からいかせたら、首をけがして終わるとか、そういう先見の明があった」と振り返る。猛稽古が実を結んで出世。光司さんらと共に相撲ブームをけん引し、04年5月の夏場所中に土俵に別れを告げた。

 翌年1月にあった浪岡さんの断髪式の際、父はがんで闘病中だったが、医師の反対を押し切ってまな弟子の最後の晴れ舞台に駆け付けた。光司さんは当時を思い出し、「人間の命ははかない。貴ノ浪関は喜んでいたと思うが、父のよれよれになっていた姿は見せたくなかった」と後悔を口にする。尊敬する父は同年5月に他界。断髪式が、公の場で見せた最後の姿となった。

 光司さんは、満さんも一時、名乗った「貴乃花」のしこ名を受け継ぎ、「私はおやじの分身という考え方。そこから遺伝子で生まれてきたという感じだった」と言い、父への恩返しは「(一代年寄として)その名を残せた時かな」としみじみ。

 18年に日本相撲協会を去ったが、親子の歴史、系譜は確かに角界に刻まれている。今もテレビで大相撲を観戦し、「見ると力が入ってしまう」と笑顔で話す「平成の大横綱」。亡き父に思いをはせながら、静かに土俵を見詰め続けている。

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