2月10日土曜の夕暮れ。地下鉄福住駅から札幌ドームへと向かう狭い歩道は人の波であふれかえり、ちっとも前に進まなかった。実に42年ぶりとなる伝説のロックバンド、クイーンの来道。4万8000円とオペラ並みのゴールドチケットをコートのポケットに忍ばせ、遠く線状に続く群れの中を牛歩で進んだ。
ミュージカルやオペラは好んで見に行くが、ロックのコンサートはまず行かない。でもクイーンは別。これが見納めと信じ、4年前にさいたまアリーナで開催されたツアーにも実はちゃっかり参加している。御年76歳のブライアン・メイ(ギター)と74歳のロジャー・テイラー(ドラム)は私の読みを見事に裏切ってくれた。ショーの完成度も数段進化していた。やはり化け物である。
2時間半もの間、席に一度も座ることもなく、人目をはばかることもなく、拳を振り上げ続ける自分がいた。前席の初老の女性はユニオン・ジャックを体に巻き付けて跳ねている。会場を埋め尽くしたみんなが心で通じ合っていた。
私は歳の差が六つのいとこのおかげで、小学4年の時にクイーンの洗礼を受けた。「これいいよ」と発売されたばかりのデビューアルバム「戦慄(せんりつ)の王女」(1973年)をカセットにダビングしてくれたのだ。ブライアン作詞作曲の「Keep yourself alive」の激しいビートに一発で心を射抜かれた。LPレコードなど高くて買えない時分、田舎のませたガキは、テープが擦り切れるまでクイーンに浸る。70年代、昭和の真っ盛り。棚に並ぶロックの月刊誌「ミュージックライフ」だけが世界へとつながる小さな窓だった。
中学2年の夏、米カリフォルニア州のサンルイスオビスポという人口3万人ほどの町に1カ月半、ホームステイした。海外渡航が珍しかった時代、巨大スーパーの陳列棚を初めて見て、アメリカの豊かさに度肝を抜かれた。調味料のコーナーに地元の日高昆布が並んでいたのを発見! なんだかうれしくなったのを思い出す。
日高から来たロック少年は、ここぞとばかり、町に1軒しかなかったレコード店に入り浸った。当時、ピンク・レディーが米国進出を果たし、大量に並ぶミーとケイのジャケットを見て、ちょっと誇らしかった。少しずつ買い込んでいったロックのLPはクイーンにとどまらない。スーツケースの半分をLPで埋め尽くして帰国した私に、母はあきれかえった。
フレディ・マーキュリー(ボーカル)がエイズで死亡した後も、ジョン・ディーコン(ベース)が去った後にも、異なる世代のファンを獲得しながらクイーンはクイーンであり続ける。今、ボーカルを務めるアダム・ランバートは、クイーンのメンバーになったのではない。フレディ越えのボイスを持つアダムが「クイーン+アダム」という形でクイーンの伝説に一人のファンとして向き合っている。個性は生かすが、出過ぎない。彼の絶妙な立ち位置こそ、伝説がグローバルに拡大再生産されるゆえんだ。
ステージには、かっこいい2人のおじいちゃんを孫が慈しむような愛と優しさにあふれている。う~~ん、やっぱりまた見たい。
(會澤高圧コンクリート社長)