Uber(ウーバー)はここ数年で人の暮らしに最も大きな変化をもたらしたイノベーションの一つであろう。スマホに内蔵されたGPS(全地球測位システム)を巧みに使い、運転手と乗客のリアルタイムマッチングを実現させる魔法のようなスマホアプリだ。
私は世界中どこに行っても移動はUber、地域によってLyft(リフト)やGrab(グラブ)といった”派生”アプリも使う。空港に着いたら行きたい場所を入力するだけ。近くを走るドライバーがすぐにアサイン(割り当て)され、10分もしないうちにクルマが目の前に現れる。アプリの地図上に移動中のクルマのアイコンが表示されるので、タクシーを待つようなイライラがまったくない。
行き先とルートが事前に合意済みということもあり、何なら会話も交わさなくていい。目的地に着いたら降りるだけ。料金は登録済みのカードで自動決済されるから、小銭を用意する必要もない。
欧州最大のテックの祭典「Web Summit(ウェブ・サミット)」に参加のため13日からデジタルノマドの聖地リスボンに入ったが、今回も市内の移動はすべてUberだ。おかげで現地通貨をまったく使わずに海外出張から戻るのが今や当たり前となった。
こんな便利なスーパーアプリが唯一まともに使えない国、それがニッポンだ。道路運送法78条で”白タク行為”が全面的に禁止されているのが主な理由である。しかし、ここで「わが国は規制だらけ。だから進化しないんだ」などと悪態をつくつもりはない。黒船の出現が契機となり、日本では、タクシー業界を軸にGOやS.RIDEといったUberうり二つのアプリが相次いで開発され、大都市圏を中心に急速に普及しつつある。
米国生まれのUberをそのまま受け入れてタクシー業界が壊滅的となるのを避けながら、テクノロジーは形を変えて受容したところが実に日本的だ。仏教がいい例かもしれない。古来より日本は外国文化には寛容だが、決してそのままの形では受け入れない。インド発祥の大日如来を天照大御神と習合させてまで社会の安定性を優先してきた先達の英知がそこにある。
ボッタクリや遠回りのない、世界で最も安心なサービスを提供してきた日本のタクシー業界を襲っているのはもはや外敵ではない。ドライバーの急速な高齢化と若手ドライバーの新規供給が一向に増えない内なる構造問題である。
都会はなんとかなるだろう。しかし地方はどうにもならない。タクシーという公共交通を代替するにはコミュニティー単位で互いがドライバー(白タク)となって移動を支え合う新たな仕組みが必要だ。それを促すあらゆる機能をUberのアプリは兼ね備えている、と断言できる。
にわかに沸き起こったライドシェア解禁をYesかNoかの二元論で語ってはいけない。都会はタクシーアプリ、地方こそUberというハイブリッドが日本には似つかわしい。
(會澤高圧コンクリート社長)