選手が「伸び伸び」理想のゲーム 試合中の動き方や判断 スポーツしている感覚で 苫小牧アイスホッケー連盟レフェリー委員長 金子 昭博さん(57)

  • 時代を生きて, 特集
  • 2023年11月4日
後輩の指導、育成に当たる金子さん
後輩の指導、育成に当たる金子さん
率いた苫小牧和光中アイスホッケー部が全国優勝を果たした(2017年)。後列左から2人目が金子さん
率いた苫小牧和光中アイスホッケー部が全国優勝を果たした(2017年)。後列左から2人目が金子さん
アジアリーグデビュー戦でフェースオフ(2015年)
アジアリーグデビュー戦でフェースオフ(2015年)
真剣なまなざしで試合をジャッジする金子さん
真剣なまなざしで試合をジャッジする金子さん

  苫小牧アイスホッケー連盟のレフェリー委員長、レフェリースーパーバイザーとして、試合中の動き方や反則の判断など、氷上に立ちながら後輩の育成、指導にも尽力する。「他競技とは違い、運動量が多くアスリートの要素が強いので、スポーツをしているのと同様の感覚。経験を積めば世界選手権、五輪など大きな大会に携わることもできる」と魅力を語る。

   教師として初めて赴任した苫小牧光洋中学校で、アイスホッケー部のコーチをすることになった。試合で他校のコーチがジャッジしている姿に魅力を感じ、レフェリー登録をしたものの、試合で笛を吹く機会には恵まれないまま10年ほど過ぎた。当時(1998年)は、日本代表が出場した長野冬季五輪が開催されたこともあって、国内のアイスホッケー競技人口は約2万9000人とピークだった。市内では常勝軍団、王子製紙(現・レッドイーグルス北海道)の活躍にファンが湧き、各小中学校の部活動も盛んに。レフェリーも現在の2倍近い30人以上の登録があった。この頃から笛を吹く機会が増え、本格的なレフェリーの活動がスタートした。

   「当時、うまく試合をコントロールできず、叱られることも多かった。車を持っていない先輩レフェリーの送迎をしていたが、車内は毎度反省会で、正直嫌だなと思ったこともある」と苦笑いしつつ「そのおかげで今がある」と感謝する。全国規模の大会にも派遣されるようになり2013年、大学生の全国大会で元日本アイスホッケー連盟レフェリー委員長の川村一彦氏とジャッジした際には「試合で何が起きても対応できるよう、もっと走らなければ」との指摘に奮起。アジアリーグ(AL)の試合にも立てるようになった。

   ALデビューは48歳の15年11月、イーグルス対日光アイスバックス戦。「試合が決まるまでは毎日緊張。無我夢中だった」と振り返る。選手同士の小競り合いをうまく止めることができず、選手を危険にさらすような場面をつくってしまう大失敗もあった。教員としては部活動のコーチを務め生徒たちを全道、全国へ導いた。昨季、レッドイーグルス北海道を引退した百目木政人さんも中学時代の教え子で「教え子たちと試合で会えるのも楽しみの一つ」とほほ笑む。

   「レフェリーが目立たず、選手が伸び伸びとプレーできるようなゲームが理想」と話す。苫小牧の審判登録者は現在15人ほど。シーズン中は毎月約60試合ジャッジをするため人材不足も課題の一つ。こうした問題を解消し、発展させていくため、競技先進国で行われているプロのレフェリーをつくりたい―という思いも強い。「レベルアップを図りレフェリーに対するマイナスなイメージを拭うことで人材を増やし、世代交代を果たしていきたい」

  (松原俊介)

  ◇◆ プロフィル ◇◆

   金子昭博(かねこ・あきひろ) 1966年6月、苫小牧生まれ。市内の中学校で教員コーチとしてアイスホッケー部を全道、全国大会に導いた。苫小牧レフェリー委員長は2期、3年目。苫小牧市澄川町在住。

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