苫小牧広域森林組合総代 小松 岩雄さん(98) 98歳 まだまだ元気に農業 厚真町でハスカップ生産やコメ収穫に汗

  • 時代を生きて, 特集
  • 2024年9月21日
「時折、子どもや孫たちが家に来てくれることがうれしい」と小松さん
「時折、子どもや孫たちが家に来てくれることがうれしい」と小松さん
町青少年センターで行われた木工教室で木馬を作った小松さん(右から3人目)
町青少年センターで行われた木工教室で木馬を作った小松さん(右から3人目)
町富野で地域おこし協力隊の隊員に向け、小豆の豆落としを指導する小松さん(右)=18年11月
町富野で地域おこし協力隊の隊員に向け、小豆の豆落としを指導する小松さん(右)=18年11月
道有林の現地説明会に参加した小松さん(2列目左から2人目)=2013年10月
道有林の現地説明会に参加した小松さん(2列目左から2人目)=2013年10月

  とまこまい広域農業協同組合(JAとまこまい広域)の最年長組合員として、厚真で長年農業に従事し、今年もハスカップの生産やコメの収穫に汗を流す。山林を所有し、苫小牧広域森林組合の総代も務める。森林整備やボランティア活動にも積極的に取り組み、日々元気に暮らし、人生を楽しんでいる。

   1926(大正15)年6月、厚真村(当時)で生まれた。父親は農作業で忙しく、当時、母親は出産して自力で産湯につけてくれたという。「過酷な時代だった。母親には感謝しかない」と語る。現在の上野地区で育った少年時代。山には野イチゴやブドウ、コクワがあり、夏の河辺には蛍がいた。川で魚釣りをするなど自然豊かな環境の中で過ごした。

   家の農業を手伝っていたが、厚真川の水害が多発し、35年8月には大雨で川が氾濫したことが印象に残っている。ヒグマが地域で出没し、捕獲して集落の全員で食べた。

   10代後半になると、日本は太平洋戦争に突入。青年学校で銃剣術を習った。45年6月、日本軍に召集され、現在の町豊丘に設営された兵舎に移った。8月15日の玉音放送を聞いた後、上官から戦争が終わったことを伝えられた。上官が涙を浮かべたことが今でも忘れられない。

   終戦後、兵舎で小銃などを廃棄する後片付けを1カ月ほど行い、実家に戻った。その後、農業者として独り立ちをし、53年に結婚。3人の娘に恵まれた。

   当時、農業は機械化されておらず、田植えや稲刈りは手作業で行うため、大変な重労働だった。冬期間は日高地域で鉄道の線路設置工事に従事し、厳しい環境に耐えた。72年にトラクターを購入すると、作業効率が格段に上がった。

   「自分で作ったものを食べることができる」。農業の魅力をこう語る。今年も育てたハスカップを農園として開放し、今月はコメの収穫に汗を流している。地域おこし協力隊の隊員に向け、昔の農機具を使用した農業指導を行った。

   森林保全に関心を持ち、あつま森林むすびの会や胆振森林サポーターの会の会員として活動する。14日には、空知管内由仁町でアオダモの植樹を行った。樹木を育て、活用することが必要と考え、町青少年センターで行われた木工教室に参加し、木馬作りにも挑戦した。「木を育て、楽しむことが大事」とほほ笑む。

   過去には、生活・介護支援サポーター養成研修(町ふれあいサロンボランティア養成研修会)の受講や北海道共同募金会厚真町分会評議員の委嘱を受けた。奉仕活動を続ける要因として、「周りはいい人ばかりで、活動が楽しい」。まだまだ元気だ。(室谷実)

  ◇◆ プロフィル ◇◆

  小松岩雄(こまつ・いわお) 1926年6月15日、厚真村で生まれる。農業者として米やハスカップを作り、今も現役でとまこまい広域農業協同組合(JAとまこまい広域)の組合員や苫小牧広域森林組合の総代を務める。厚真町上野在住。

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