民踊サークル「白寿会」会長 山口 ますみさん(81) 踊りで地域を明るく 全国の指導者に「苫小牧おどり」伝授

  • 時代を生きて, 特集
  • 2023年10月7日
「いつまでも元気で踊り続けたい」と話す、山口さん
「いつまでも元気で踊り続けたい」と話す、山口さん
当時住んでいた埼玉で開かれた発表会に臨む山口さん=1986年
当時住んでいた埼玉で開かれた発表会に臨む山口さん=1986年
苫小牧で開かれた全道民踊大会の集合写真(前列右から5番目)=2002年
苫小牧で開かれた全道民踊大会の集合写真(前列右から5番目)=2002年
白寿会の仲間らとの記念撮影(前列右が山口さん)=2022年
白寿会の仲間らとの記念撮影(前列右が山口さん)=2022年

  踊りを始めて半世紀が過ぎた。夫の転勤で引っ越しを繰り返す中、行く先々で踊りを通して新しい仲間と出会ってきた。苫小牧では民踊サークル「白寿会」に長く所属し、昨年は全国規模の研究集会で講師も経験。「こんなにしわが増える年齢まで踊り続けるとは夢にも思わなかった。これからも体が動くまで踊り続けたい」とほほ笑む。

   東京都出身。洋裁の専門学校を卒業後、22歳で久雄さん(故人)と結婚した。久雄さんの転勤に伴い、東京や埼玉、静岡などを転々とした。2人の娘も授かり、家事に育児にと忙しい日々を送った。

   舞踊と出合ったのは、静岡に住んでいた20代後半のころ。知人の勧めで始めた。30代で苫小牧に移住した時、知り合った人から「来たばかりで寂しいでしょ? 踊りにおいで」と誘われ、当時の市公民館(現・市文化交流センター)で活動していた白寿会に入会。苫小牧を離れるまでの9年の間、活動に打ち込んだ。

   その後は10年ほど関東に住んだが、「空気がきれいで食べ物もおいしく、いい人もたくさんいる苫小牧にまた住みたい」と考え、苫小牧に定住。同会にも再び入会した。「苫小牧を離れるときに涙、涙で別れた仲間たちも再会を喜んでくれた」と振り返る。

   会では全国各地で伝わる踊りの習得や、成果を披露する発表会に励んだ。10年ほど前に会長となり、先輩たちから受け取った「白寿の灯」を次の世代につなぐため、こつこつと活動してきた。

   そんな中、昨年、突如として驚きの知らせが舞い込んできた。同会でも指導普及に励んできた苫小牧の民踊「苫小牧おどり」が、全日本民踊指導者連盟研究集会の講習曲に選ばれることが決まり、同会が研究集会の講師に抜てきされた。11月、静岡県で開かれた研究集会に仲間らと出席し、全国各地の民踊指導者に苫小牧おどりを伝授。同連盟北海道支部が、本部に研究集会の講習曲として苫小牧おどりを推薦してから8年後の結実だった。

   50年にわたって踊りが続けられ、研究集会で講師を務めるという「一生に一回の経験」ができたのも、頑張りを応援してくれた久雄さんの存在があったからだ。家庭のある女性が家を空けることが「良し」とされなかった時代にあっても、快く送り出してくれた。久雄さんは2020年2月に亡くなる前、「心に笑顔を忘れるな」という言葉を残してくれた。その言葉は生涯の宝物となった。

   八十路を迎え、今の夢は”みんなで踊り、楽しく明るく元気に年を取る地域”の実現だ。「経験がなくても、年を取っても、音楽を聴くと人は自然に体が動くもの。その楽しさを伝えるため、自分はずっと踊り続けたい」。はつらつとした笑顔で力を込めた。

  (姉歯百合子)

  ◇◆ プロフィル ◇◆

  山口ますみ(やまぐち・ますみ) 1941(昭和16)年12月、東京生まれ。踊りが好きで、1年ほど前からはスクエアダンスにも取り組む。手仕事も得意とし、ビーズのアクセサリー作りが趣味。苫小牧市泉町在住。

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