鶴心書道会代表 佐藤 勲さん(83) 書道を一生続けたい 筆を執り半世紀 教室掛け持ちし指導に熱

  • 時代を生きて, 特集
  • 2023年9月30日
鶴心書道会の代表として指導に当たる佐藤さん
鶴心書道会の代表として指導に当たる佐藤さん
第27回読売書法展の漢字部門で特選に選ばれた佐藤さん=2010年
第27回読売書法展の漢字部門で特選に選ばれた佐藤さん=2010年
函館港でボート部の仲間と一休みする佐藤さん(手前)=1957年
函館港でボート部の仲間と一休みする佐藤さん(手前)=1957年
中学の修学旅行で行った弘前城の前で記念撮影をする佐藤さん=1954年
中学の修学旅行で行った弘前城の前で記念撮影をする佐藤さん=1954年

  書道の道に進んだのは30歳の時。「少しでもきれいな字を書きたい」という気持ちで始めた。筆を執って半世紀以上が過ぎた今でも苫小牧市内の四つの書道サークルでつくる鶴心書道会の代表を務め、公募展に応募するなど精力的に活動している。

   太平洋戦争が始まる前年の1940年1月に函館市で産声を上げた。小、中学校時代は体が弱く、健康診断では栄養不可と判断された。体力がなく「小学5年生の時に駒ケ岳(渡島管内森町)への登山後に学校を1週間休んだこともある」という。

   高度経済成長が始まった55年、地元の函館西高校に入学。小柄だったこともあり、ボート部からかじ取り役のコックスとしてスカウトされ入部した。部員とともにランニングや筋力トレーニングに明け暮れる日々だったが、運動会のマラソン大会では2位になるなど、体を動かす楽しさを知るきっかけになった。

   58年には北海道学芸大学函館分校(現在の北海道教育大学函館校)に進学。教員の道を目指すべく勉学に打ち込みながら、陸上競技部でも中・長距離の選手として活動した。

   苫小牧に来たのは教員生活5年目の66年。赴任校は苫小牧東小学校だった。苫小牧での仕事にも慣れてきた70年、同校の奥山俊光校長(故人)から「書道を習ってみないか」と勧められ、日本書道を習い始めた。初めの頃は字が上達していくのを感じていたが、4年ほどが過ぎると昇級や昇段が進まなくなり、限界を感じるようになった。

   転機が訪れたのは75年に恩師である毛利寿海先生(同)との出会い。毛利先生は書道の近代詩文書というジャンルを指導しており、「作品から喜怒哀楽が伝わり、絵を見るような感覚がある。書道を一生の趣味として続けていきたい」と感じたという。毛利先生が亡くなった後は、角田大鶴先生(同)に師事。これまで毎日書道展や創玄展、読売書法展など数々の展示会で入選や入賞を果たしてきた。

   2006年には、楽遊書道教室を立ち上げ、13年には高齢者福祉センター(本幸町)や苫小牧泉野小学校(川沿町)、15年には市文化交流センター(本町)と四教室を掛け持ちしながら指導に当たっている。80歳を超えた今も「生徒が出品するのに、自分が頑張らないのは申し訳ない」と公募展への出品も続ける一方、「生徒に質問されて分からないではいけない」と常に最新の情報を収集するなど勉強も欠かさない。

   「今までは毛利先生の『将来を期待する』との言葉を胸に続けてきた。自分の後継者も探していきたい」と次の世代への期待も寄せつつ「これからも体が動く限りはゆとりをもってのんびりと書を書き続けたい」と笑顔で語った。(陣内旭)

  ◇◆ プロフィル ◇◆

   佐藤勲(さとう・いさお) 1940(昭和15)年1月、函館市生まれ。鶴心書道会代表、読売書法展幹事、苫小牧書道連盟審査会員。海釣りが趣味で、苫小牧港や白老港から船で海に出て、カレイやホッケ、ニシンなどを釣るという。

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