子どもの時から夢だった看護師として働き、町内では婦人活動団体で地域の子どもたちの交通安全などに尽力してきた。40代で学び直し、高校卒業資格を習得。傘寿を前に、趣味のそば打ちで上位の資格取得を目指す。「いつまでも輝ける人生であるために興味があったら果敢にアタックしていきたい」と振り返る。
終戦間近の1944(昭和19)年、岩手県前沢町(現奥州市)の農家で6人きょうだいの次女として生まれた。地元の白鳥小学校、前沢中学校時代は、毎日片道1時間ほどかけて通っていたのが思い出。食べていくのは大変だったが夏は川で水遊びを楽しんだり、冬は拾い集めた杉の葉をまき代わりに燃やして教室の暖房にしていたのを懐かしく思い出す。
6年生の時、虫垂炎にかかり、入院した病院で看護師の仕事ぶりを目の当たりに。「将来は人を助ける仕事に就きたい」と誓った。中学卒業後、16歳で東京都墨田区の開業医の家に住み込みで働きながら、千葉県市川市の市医師会付属准看護婦学校に2年間通って資格を取得した。
23歳になると、白老町に嫁いでいた姉から結婚話が持ち上がり、町内で会社員をしていた靖男さん(現白老山岳会会長)と結婚した。しばらく子育てに専念していたが、35歳で竹浦保育所(後の町立たけのこ保育園、2009年に閉園)に厨房スタッフとして勤務。40代になると、高校卒業資格を取ろうと一念発起。通信制の日本放送協会学園高等学校(現NHK学園高校)で3年間学んだ。当時は長女と長男が高校生で、「親子3人の高校生活は楽しかった」と笑う。
子育てが一段落した43歳、再び看護師として働こう―と、白老町立国民健康保険病院に勤務。パートとして内科、外科、小児科で従事し、55歳まで務めた。その後は登別市の三愛病院で正規雇用され、精神科に6年間職務に就いた。
看護師時代を振り返り、「悩みを抱えた人の助けになりたい一心だった。気持ちに寄り添うためには心が強くないといけないと思った」と話す。
町内で女性が中心の活動に参加したのは35歳から。国道や鉄道が横切る竹浦地区で力を入れたのは子どもたちの輪禍防止だった。季節ごとの交通安全運動はもとより、朝になると交代で地区内の交差点3カ所に立ち登校を見守った。55歳で竹浦婦人会会長となり、現在も地域の子どもたちが健やかに育つことが生きがい、という。
胆振東部地震が発生した2018年当時、白老町婦人団体連絡協議会(婦連協)の会長として寄付に奔走した。現在は副会長。若い人たちに社会参加の重要性を訴え「幾つになってもできることはある」と満面の笑みをこぼす。78歳になってから始めたそば打ちは初段の腕前。来年の2段取得を目指し腕を振るう。(半澤孝平)
◇◆ プロフィル ◇◆
鈴木 キワ子(すずき・きわこ) 1944(昭和19)年2月、岩手県前沢町(現奥州市)出身。婦連協の活動に長年関わり、地域の子どもたちの安全を守ることが生きがい。趣味はそば打ち。白老町竹浦在住。