安平町社会福祉協議会会長 真保 立至さん(83) 「追分に恩返ししたい」 3代にわたり郵便局長 一家で地域支える

  • 時代を生きて, 特集
  • 2023年8月19日
築100年以上がたつ自宅に飾られた「追分郵便局」の看板の前で
築100年以上がたつ自宅に飾られた「追分郵便局」の看板の前で
追分郵便局開局100周年記念式典では鏡開きを行った(中央が真保さん)=1996年
追分郵便局開局100周年記念式典では鏡開きを行った(中央が真保さん)=1996年
1988年に趣味のゴルフでホールインワンを達成し、仲間内でつくった記念品
1988年に趣味のゴルフでホールインワンを達成し、仲間内でつくった記念品
祖父、父と3代にわたって追分郵便局の局長を務めた=1996年
祖父、父と3代にわたって追分郵便局の局長を務めた=1996年

  安平村から追分村、追分町、今の安平町追分地区と地域の住民サービスを支えてきた追分郵便局で20年以上局長を務めた。祖父の祖山さん、父の恒弘さんと3代にわたって明治から大正、昭和、平成と追分郵便局長に100年以上「真保」の名を刻んだ。”追分のまちに真保”の礎がそこにあり、自宅に飾られた写真や貴重品からまちの時代背景が浮かび上がってくる。

   日本が戦争の真っただ中だった1940(昭和15)年2月に当時の安平村で産声を上げた。戦前戦後の日本経済を支えた蒸気機関車(SL)とともに追分のまちで育った。

   かつて追分郵便局は、自宅の扉を開けたすぐそばにあり、夜になると自宅は局員の宴会場に様変わりするのが定番だった。「当時は自動車なんてない頃だったし、弟と二人で酔いつぶれた若い局員をリヤカーに乗せて、よく家まで送ったものだ」と懐かしむ。やがてそこで卓を囲んでマージャンが始まると、「テレビもなかったのでよく親の膝の上に乗って、指の感覚で牌が分かるほど(自然と)覚えていった」と笑って言う。

   高校を卒業し、浪人や大学時代の4年間を含む6年間を都会の東京で過ごしたが、やはり地元に愛着があり、大学卒業と同時にUターンした。追分郵便局に就職し、隣町の旧早来町、壮瞥町、苫小牧市内での勤務を経て84年6月から父の後を追って追分郵便局の局長に就任した。やがて地域の活動にも意欲を燃やすようになり、光ファイバーの設置や教育の充実、イベントの開催などに関わり活躍の幅を広げてきた。

   中でも印象的だったのは第三町内会会長を務めた90年代前半。不景気の波が地域にも押し寄せていた頃に「せめて夢くらい見てもいいだろう」と、「夢の海外旅行」と銘打って町内会で宝くじを買うことを提案し、実行に移した。海外旅行こそ実現しなかったが、噂をかぎつけたテレビ局で全国放送されるほどの注目を引き付けることになり、「追分」の名のアピールにつながった。

   2005年3月末に郵便局を退職した後も、後に合併して誕生した安平町のスポーツや福祉、あらゆる分野で地域の活動に精を出してきた。令和の時代を迎えた今でも、町社会福祉協議会や町追分地区連合会の会長などさまざまな肩書を持ち、現場から近い場所で地域の発展に奔走する日々を過ごす。大きなけがや病気を患うこともなく、シーズン中は週に1回、仲間でゴルフ場へラウンドに繰り出すなど体力にもまだまだ自信がある。

   「元気なうちは、古里への恩返しをしようと思っている」。誰よりも追分のまちを愛し、今なおそのエネルギーは衰えることがない。

  (石川鉄也)

  ◇◆ プロフィル ◇◆

   真保立至(しんぼ・たつし) 1940(昭和15)年2月、旧安平村生まれ。追分高、法政大学社会学部を経て、64年に追分郵便局に就職。追分郵便局長を務め、2005年に退職。現在、安平町社会福祉協議会会長のほか、町追分地区町内会連合会会長も務める。安平町追分本町在住。

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