NPO法人日本空手道振興会強健流空手道会長 柳田 和弥さん(43) 武道で地元に恩返し 夢追い掛け鍛錬重ねる

  • 時代を生きて, 特集
  • 2023年7月8日
武道で汗を流し続ける柳田さん
武道で汗を流し続ける柳田さん
敬愛する師匠・長尾さん(左)との1枚=2002年2月
敬愛する師匠・長尾さん(左)との1枚=2002年2月
鍛錬に打ち込み、黒帯を獲得=2003年
鍛錬に打ち込み、黒帯を獲得=2003年
大成小の卒業式で卒業証書を受け取る柳田さん=1992年3月
大成小の卒業式で卒業証書を受け取る柳田さん=1992年3月

  人生を救ってくれた武道で、地元・苫小牧市に恩返しを―。空手を通じ青少年の健全育成に取り組みながら、NPO法人として社会貢献活動にも力を入れている。市元町の道場には格闘技の賞状だけでなく、防災・防犯活動への感謝状もずらりと並び、「これまで自分が夢を追いながら生きてきた証し」と胸を張る。

   日本の自動車生産数が世界第1位となった1980年、苫小牧市に生まれた。幼少期は野球に打ち込み、中学進学とともに当時、はやりの短ランとボンタン(ズボン)に身を包んだ。先生方とのけんかも絶えなかった当時を「ろくでもない不良だった」と苦笑いを浮かべる。

   武道を始めたのは95年、苫小牧工業高校定時制への入学がきっかけだった。同校で教師をする傍ら、空手の流派「強健塾」を開いていた師匠・長尾啓寛さんと出会い入門。武道家としての道を歩みだした。「空手が自分の弱さや心の迷いを正してくれた。先代の教えがあったから今の自分がいる」

   時を同じくしてキックボクシングブームが到来。「PRIDE」や「K―1」など、格闘技番組が多数放送され、人気を博していた。強健塾の志を広めるべく、さまざまな格闘技に挑んでいた青年は2001年、苫小牧市総合体育館で行われたSWAアルティメットボクシング苫小牧大会に出場。スーパーミドル級で判定負けも、キックボクシングの習志野ジム(千葉県)からスカウトの声が掛かった。家族のため、背中を押してくれた先代のため、チャンピオンベルトを持って帰る―。03年、妻と産まれたばかりの娘を苫小牧に残し、単身で武者修行に出ることを決めた。

   千葉での日々は困難を極めた。1日8時間以上に及ぶ練習に打ち込んだ後は、身銭を稼ぐために飲食店でアルバイト。4畳半の寮に寝泊まりする過酷な毎日を支えたのは、お守り代わりに持ち歩いたまな娘の写真だった。努力のかいあって06年にはプロテストに合格するも、己の体力に限界を感じていた。「自分で決めた期間で物にならなければ、家族を守ることを優先しなければならないと思った」。追い続けた夢にこそ破れたものの、3年間の鍛錬を通じて「信じてきた強健塾の技術が通用する」という大きな収穫を得た。

   同年に苫小牧へ帰郷。長尾さんから流派を継承すると同時に、NPO法人日本空手道振興会強健流空手道の代表として新たな人生のスタートを切った。空手の稽古だけでなく、武道で培われた体力や技術を生かし、防犯パトロールや清掃事業にも従事している。16年に代表職を降り、現在は会長を務めている。

   「死ぬまで夢を持ち続けたい」と語る武道家の最後の夢は、武道の愛でつながった人たちに囲まれて人生を終えること。その日が来るまで、苫小牧で活動を続けていく。

  (倉下鈴夏)

  ◇◆ プロフィル ◇◆

   柳田 和弥(やなぎだ・かずや) 1980(昭和55)年2月、苫小牧市大成町で生まれる。2017年には大相撲田子ノ浦部屋の北海道後援会「北伸会」を立ち上げた。旅行が趣味で、人やご当地グルメに巡り会うことが楽しみ。苫小牧市のぞみ町在住。

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