自転車修理のパン九屋代表 片岸 利男さん(74) 身に付けた技術生かしこれからも ふるさと岩手への熱い思いを愛車でPR

  • 時代を生きて, 特集
  • 2023年6月17日
今も自転車修理に奔走する片岸さん
今も自転車修理に奔走する片岸さん
苫小牧市錦岡で創業した「片岸自転車商会」の玄関前でポーズを取る片岸さん=1970年代
苫小牧市錦岡で創業した「片岸自転車商会」の玄関前でポーズを取る片岸さん=1970年代
ふるさと岩手県を宣伝するため、装飾した愛車と片岸さん。道内各地や岩手県などを巡り、走行距離約16万キロで廃車になった=1990年代ごろ
ふるさと岩手県を宣伝するため、装飾した愛車と片岸さん。道内各地や岩手県などを巡り、走行距離約16万キロで廃車になった=1990年代ごろ
国内のさまざまなバイクのレースに参戦し、獲得したトロフィーを抱える片岸さん=1970年代
国内のさまざまなバイクのレースに参戦し、獲得したトロフィーを抱える片岸さん=1970年代

  苫小牧市内で長年、自転車店を営み、74歳の今は故障やパンクなどへの対応に絞り、出張修理の依頼も受けている。21歳で始めた当時は、市内に30店近く自転車店があったが、「今は10店にも満たないほどに減った」と時代の激しい変化を痛感している。

   出身はリアス式海岸が広がる岩手県久慈市。5人きょうだいの長男として生まれた。父は北海道まで林業の出稼ぎに行き、家をよく空けていた。実家の周辺は連綿と続く水田で田植えや稲刈りの手伝いなどに駆り出され、汗を流した思い出がある。

   地元の中学校を卒業し、すぐに実家を出た。地方から都市部に仕事を求めていく集団就職が当たり前だった時代。親戚を頼りながら、一人で苫小牧に移り住んだのは1964年。前年の63年には苫小牧港が開港したばかりで、「まちの活気を強く感じた」と懐かしむ。

   自動車やバイクの修理・販売を手掛ける店で働き、今でも生かせる技術や知識を身に付けた。「何もかもが新鮮で毎日が楽しかった」

   70年に最初の店を市内錦岡に構えた。住宅団地があり、道道整備が進み、大学の新設構想もささやかれていた地域で「発展するだろう」と期待が高まった。だから自転車やオートバイ販売、修理に加え牛乳配達までも請け負った。

   仕事の合間、国内のバイクレースに入れ込んだ。当時はレース専用車が手に入らず、部品を取り寄せ、レース仕様に改造したバイクで参戦。スピードや乗りやすさを追求し、整備の技術や知識も向上、モトクロスやトライアルの各レースで結果を残した。日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)の「国際A級」のライセンスも取得した。

   レース出場は20代で一区切りを付けたが、アーチェリーやボウリングのほか、ユニークなアイデアを形にする発明など新たな趣味を開拓した。「広く浅く」言いながら、熱中するととことんこだわる性格。趣味の一つ、愛車の軽ワンボックスカーでの旅も、40代の頃に道内全市町村を制覇した。

   各まちの庁舎前で三脚を立ててカメラで撮った記念写真を、店内で北海道地図上に飾り、来店客の評判を集めた。併せてふるさとをPRしようと愛車に「IWATEナチュラル百貨店」と記したシールや岩手県各地の観光、レジャー施設から集めたステッカーを飾ったPR車を作って道内や岩手県も巡った。

   店を移転し3カ所目の今は自転車の販売をやめ、修理に特化。「店まで持って来られない」という人もいるため、苫小牧川から東方面の地域なら修理の出張も引き受ける。「部品を交換すれば、まだ乗ることができる自転車も捨てられてしまうことがある。自分が身に付けた技術をこれからも生かしていきたい」

  (河村俊之)

  ◇◆ プロフィル ◇◆

   片岸 利男(かたぎし・としお) 1949(昭和24)年5月、岩手県久慈市生まれ。苫小牧市内での店舗は錦岡、新中野町を経て現在は三光町で営業する。趣味の発明は、使い捨ての簡易カメラの全盛時代に自撮り可能な棒状のシャッター装置や移設式の簡易ブランコなどを考案し、新聞でも話題になった。今も片手で打てるパークゴルフ用クラブを試作中で、「楽しめることを探している」と笑う。苫小牧市三光町在住。

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