ソーシャルワーカー 古川 義則さん(69) 「生と死」見詰めひたむきに活動 医療の現場で感じた疑問 「最期まで自分らしく」追求

  • 時代を生きて, 特集
  • 2023年6月10日
人の尊厳と権利が守られる社会を願い、行動してきた古川さん
人の尊厳と権利が守られる社会を願い、行動してきた古川さん
第23回日本死の臨床研究会にて、死生学の権威故・アルフォンス・デーケン氏(左)と記念撮影=1999年
第23回日本死の臨床研究会にて、死生学の権威故・アルフォンス・デーケン氏(左)と記念撮影=1999年
生と死を考える会セミナーを開催時の集合写真(後列左から2人目)=2004年
生と死を考える会セミナーを開催時の集合写真(後列左から2人目)=2004年
死別経験者への支援を研究する、高木慶子さん(左)を迎えたセミナーを企画(右)=1998年
死別経験者への支援を研究する、高木慶子さん(左)を迎えたセミナーを企画(右)=1998年
第45回苫小牧フォトコンテストで大賞に選ばれた古川さんの作品「青春の友」
第45回苫小牧フォトコンテストで大賞に選ばれた古川さんの作品「青春の友」

  誰もが最期まで自分らしく生きられる社会を追求し、30年以上が過ぎた。活動を始めた1990年代は、死について考えることをタブー視する人も多かった時代。それでも、尊厳のある死について一人ひとりが考え、個々の決定を支える地域づくりの必要性を信じ、ひたむきに歩み続けてきたことが、権利擁護に携わる現在に生かされている。

   苫小牧市出身。苫小牧東高校を卒業後、東海大学工学部に進学。化学の研究に打ち込んだが「仕事として続けるのは向かない」と考え、卒業後に古里に戻り、就職した。

   さまざまな仕事を経て20代半ばで、市内の病院に事務職として就職。患者の死が身近となる中、本人の意思に関わらず、家族と離されて延命治療が施される人の姿も多く見るように。治療が最優先される現代医療に疑問を抱いた。

   「全ての人が人生の最期を自分で決められるような社会をつくりたい」。胸に沸いた強い気持ちに突き動かされ、93年3月、医療現場で働く人や関心のある市民らと共に「苫小牧生と死を考える会」を発足させた。会では生と死について学び、考え、自分の意思を示し行動することを目的に活動。死を見詰めることで精いっぱいに生きようとする意識が生まれることを多くの人に知ってもらうため、有識者を招いたセミナーや講演会を頻繁に開催。小中学生を対象とした命の作文コンクールも主催し、若年層への啓発にも力を入れた。

   さらに市が当時、移転新築を計画していた市立病院へのホスピス(緩和ケア)の設置を目指し、署名活動や市への要望活動などにも取り組んだ。

   これらの活動を続けながら、40代を前に社会福祉法人「緑星の里」に転職。初めての福祉の職場に戸惑う場面も多かったが、社会福祉士の資格を取るなどして勉強と実践を重ねた。

   障害者の生活支援を担当した後、同法人が運営する市東地域包括支援センターに異動。「若いまち」と言われていた苫小牧も着実に高齢化が進展し、地域には独居高齢者が増加し始めていたころ。高齢者が孤立化し、認知症などで判断力が低下した人の権利侵害が起きているという現状に目を向け、福祉や法律の専門職に就く仲間と一緒に成年後見制度の研究と普及・啓発に乗り出した。

   2016年、市は高齢者対策の一環として、市社会福祉協議会に事業を委託して市成年後見支援センターを設置。自身は同法人を退職して市社協に転職しセンター長に就任した。成年後見制度の新たな担い手を確保するため、市民後見人の養成に注力。毎日のように寄せられる市民からの相談の対応にも当たってきた。

   生と死を考える会は10年ほど前に解散となったが、尊厳ある生と死について一心に学んだ経験は今も生かされている。「高齢化が進み、社会的にも権利擁護の重要性が増している。今までの歩みを生かし、自分にできることを精いっぱいにやり遂げたい」と語った。

  (姉歯百合子)

  ◇◆ プロフィル ◇◆

   古川 義則(ふるかわ・よしのり) 1954(昭和29)年1月、苫小牧市生まれ。苫小牧生と死を考える会をはじめ、死別体験者の「いつくしみの会」にも関わった。写真が趣味で、写真サークルCOCON(ココン)の会長も務める。苫小牧市元中野町在住。

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