全道展会員・画家 小笠原 実好さん(76) 愛される絵を描きたい 筆を執り半世紀 恩師遠藤ミマン氏に感謝

  • 時代を生きて, 特集
  • 2023年6月3日
現在も意欲的に創作活動に挑戦する小笠原さん
現在も意欲的に創作活動に挑戦する小笠原さん
家族で夕張の錦沢遊園地に遊びに行った小笠原さん(左から2人目)=1957年
家族で夕張の錦沢遊園地に遊びに行った小笠原さん(左から2人目)=1957年
作品制作に励む小笠原さん=2003年
作品制作に励む小笠原さん=2003年
夕張市美術館で初めての個展を開催し地元画家の江川博氏と記念撮影をする小笠原さん(左)=2004年
夕張市美術館で初めての個展を開催し地元画家の江川博氏と記念撮影をする小笠原さん(左)=2004年

  絵画の門をたたいたのは「家に絵を飾りたい」との思いからだった。「絵は『絵描き同士の勝負』」と夢中になった時期もあり、抽象画や風景画など幅広いジャンルで道内や全国を股にかけて展示会を行ってきた。絵を描き始めて50年がたった今も、毎年個展を開き制作活動に励んでいる。

   太平洋戦争の終戦から2年がたった1947年2月、炭鉱の町・夕張市で産声を上げた。小学校時代は父親の影響で相撲や柔道、空手などを習っていたが「内向的で、スポーツよりは絵を描くことの方が好きだった」と回想する。小学4年生の時にはクレヨンで担任の先生を描き、市から表彰を受けた。

   中学校時代も漫画でクラスの日常をノートに写すなど趣味で絵を描き続けた。夕張工業高校卒業後は札幌市内の自動車整備を学ぶ学校に1年間通い、地元の自動車整備工場に就職した。

   高度経済成長真っただ中の71年、転職を機に苫小牧市に移り住んだ。仕事にも慣れてきた73年、市本町の公民館で開かれていた鈴木善公氏(故人)と能登正智氏(同)による油絵や版画講座をきっかけに本格的に絵画を学び始めた。

   転機が訪れたのは89年。全道展で初入選し、鈴木氏と能登氏を育てた遠藤ミマン氏(同)と出会い交流を深めた。遠藤氏から厳しい指導を受けながらも絵描き仲間と切磋琢磨(せっさたくま)し技術を磨き続けた。

   2004年には同展で会友賞に選ばれ、古里の夕張市美術館で初めての個展を開催した。「苫小牧の絵描きの知り合いはみんな来てくれた。今でも当時のことが会話の話題に上る」と懐かしむ。「遠藤先生の指導は厳しかったが、絵の構図については大変勉強になった。出会っていなければ今の自分はいない」と恩師への感謝を忘れない。

   10年からは市のぞみコミュニティセンターで絵画サークル「風」の講師を務め、現在も絵画指導を続けている。12年には美術評論家の中野中(あたる)氏に認められ、東京の銀座で開催された絵画展に道内在住者として唯一参加した。

   山登りにも傾倒し、苫小牧山岳会の一員だが、個人で富山県の立山連峰や長野県と岐阜県の県境にある穂高連峰など日本アルプスを登り、スケッチ絵にも挑戦。その絵の展示会を開くなど精力的に活動してきた。

   4年ほど前からは「残り少ない人生を楽しむにはどうしらいいか」と考え、市内のギター教室にも通い始めた。絵画も「自然に生息する植物や動物を描きたい」と感じ、水彩絵の具やクレパスなどで動植物を描くようになり、子どもたちからは「クマを描くおじさん」と親しまれている。「今後は、みんなに愛される絵を描いていきたい」と創作活動の火をともし続けている。

  (陣内旭)

  ◇◆ プロフィル ◇◆

  小笠原 実好(おがさわら・じっこう) 1947(昭和22)年2月、夕張市生まれ。行動美術協会、全道美術協会、苫小牧山岳会の会員。ギターが趣味でおはこはB.B.キングの名で知られるライリー・B・キングの「16Tons」。苫小牧市柏木町在住。

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