ファミリー居酒屋「河庄」先代店主 河崎 光典さん(80) 白老の自然と人に支えられ 地域に愛された店 若夫婦に託す「応援生きがい」

  • 時代を生きて, 特集
  • 2023年2月11日
「若者の応援が今の自分の生きがい」と語る河崎さん
「若者の応援が今の自分の生きがい」と語る河崎さん
地元食材を使った料理で愛される「河庄」の厨房で=1995年ごろ
地元食材を使った料理で愛される「河庄」の厨房で=1995年ごろ
東京で商社マンとして働いていた頃=1964年ごろ
東京で商社マンとして働いていた頃=1964年ごろ
2代目を継いだ三国さん夫妻と。中央が河崎さん=2020年
2代目を継いだ三国さん夫妻と。中央が河崎さん=2020年

  森で自ら採った天然キノコの鍋料理を看板メニューに、町内外に多くのファンを持つ「ファミリー居酒屋・河庄」を長く営んできた。2020年に若手夫婦に店の経営を譲り、サポートに努めている。「白老の自然と人、家族に支えられてきた人生だった。これからは恩返し。地元の若者たちを応援することが生きがい」と目を輝かせる。

   戦時下の1943年、十勝地方の酪農地帯で3男1女の長男として生まれた。父は獣医師。地域の牛や馬の病気の治療などに当たっていた。戦争一色に染まった世の中だったが、十勝に流れる空気は穏やか。渓流釣りや山菜採りなど、自然を遊び相手に少年期を過ごした。

   61年、旭川工業高校を卒業した後、大阪や東京の商社に勤め、日本の復興、高度成長期を下支える”モーレツ社員”としてがむしゃらに働いた。獣医の仕事で父が暮らしていた白老町にも、商社のビジネスでたびたび訪れていた。「足を運ぶたびに驚かされたのは自然の恵みの豊かさ」。次第に白老の魅力に引かれ、65年ごろ、「ここで生きていこう」と決めた。

   豊富な自然の幸を生かした料理を提供する店を開きたい―。そう考え、独学で調理の腕を磨いた。72年ごろ、白老の食材を使った料理を出すスナックの経営に乗り出した。当時、町内に娯楽の施設が少なかったためか、店内のカラオケを目当てに家族連れが来店するようになった。「ファミリーが楽しい時間を過ごす店をつくりたい」と、88年に「河庄」をオープン。店の味を求めて地元のみならず、各地からもどんどん客が訪れるようになり、多くの人に愛された。

   70歳を迎えた頃から、妻ヨリ子さんの体調もあって、店を誰かに譲ることを考えるようになった。そうした中で出会ったのが三国豊さん(37)、志の生さん(38)夫妻。客としてたびたび店を訪れていた夫妻の明るい人柄、食への思いに触れ、「この若い2人ならば任せられるのでは」と直感。「この店をやってみないか」と声を掛けたのは2019年秋のことだった。

   悩んだ末に引き継ぐことを決断した夫妻に、山菜の採り方から調理の方法まで熱心に指導。2人の頑張りが「頼もしく感じ、この人たちならきっとうまくいくと確信した」と振り返る。

   三国さん夫妻が営む河庄は20年秋、店舗も改装してリニューアルオープン。新型コロナの逆風に苦労しながらも、店を愛する人たちに変わらず、支えられ続けている。

   自身も厨房(ちゅうぼう)に立ちながら、店を切り盛りする後継者に目を細める毎日。「若者の力を信じ、活躍の場に導くことが自分の人生の役目。白老の未来に希望を抱き、頑張る若者の背中を押したい」と笑みを浮かべた。(半澤孝平)

  ◇◆ プロフィル ◇◆

   河崎 光典(かわさき・みつのり) 1943(昭和18)年1月、十勝管内清水町生まれ。白老町内の生きがいづくりサークル「元気なオヤジ倶楽部」の中心メンバー。自身が所有する空き店舗を巨大壁画のキャンバスとして提供するなど地域活性化にも熱心。白老町栄町在住。

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