大自然に憧れて、生まれ故郷の関西から北海道へ移り住んだ。現在は厚真町観光協会の事務局長として町の観光振興に力を注ぐ。
バブルと呼ばれた好景気は一転して冷え込み、平成初期から続いた就職氷河期の世代。大阪での大学生の頃、就職活動は困難を強いられた。「1学年上の学生は企業の内定を幾つももらって、勤め先をどこにしようかと選べる状況だった。けれども、僕らの時からいきなり情勢が厳しくなった」と振り返る。
深刻な就職難に翻弄(ほんろう)された学生時代。何とかホテル業界に職を得て卒業後の1992年春から働き始めた。仕事にも慣れ、生活は順調。そうした中であの阪神淡路大震災が起きた。発生の95年1月、自身は関東にいたものの、親戚が暮らす神戸市はひどく被災し、居ても立っていられなかった。大阪の実家には神戸の叔父家族が避難し、ふるさと関西地方の大災害に心を痛めた。
バブル崩壊後の景気低迷期、千葉県や兵庫県のホテルなどで懸命に働き、宿泊・観光業界のプロとして生きた。そうした中でやって来た人生の転機。2013年のカナダ旅行がきっかけだった。訪ねた現地の知人宅があるのは、人口1000人ほどの小さな町。川の向こうに見えるロッキー山脈などに囲まれた光景に感動した。思い立ったら吉日―とばかりに、現地のホテルに「ここで働かせてください」と懇願。好条件で受け入れてくれることになり、帰国後、さっそく荷物を現地へ送るなど新天地での暮らしの準備を進めた。
ところが、事態は急変した。カナダの高い失業率や不法就労が問題となり、同国政府は外国人労働者の受け入れを制限。このため、入国申請ができなくなった。だが、大自然の中で家族と一緒に暮らしたい―との願いは諦められず、移住先として目を向けたのが北海道だった。
14年暮れ、ホテルの仕事を得た苫小牧市に移住した。休日を利用し、家族で厚真町までドライブをした際、道すがら目にした牧場の競走馬やエゾシカ、見渡す限りの田園風景に心が引かれた。もっと自然がある中で暮らしたい―。その思いは強くなり、同町の地域おこし協力隊に応募。観光支援員として採用された。
協力隊員を終え、観光協会で働き始めた18年9月、胆振東部地震に遭った。「被災地を視察したいのだが」。そんな町外からの問い合わせに当初、複雑な気持ちを抱いた。しかし、「震災のことを知りたいと思う人を受け入れるのも町のためになるはず」と捉え、今は被災現場の案内ツアーに取り組んでいる。
自然災害を学ぶプログラムやキャンプを通じ、防災減災に関心を持ってもらう企画も考えている。「災害だけでなく、厚真の良いところも伝えたい」。持ち前のチャレンジ精神は強まるばかりだ。
(石川鉄也)
◇◆ プロフィール ◇◆
原祐二(はら・ゆうじ)1969(昭和44)年12月、大阪府枚方市生まれ。大阪学院大学法学部を卒業し、千葉県浦安市のホテルに就職。その後、別のホテルで働いた後、2015年から厚真町の地域おこし協力隊として活動。3年の隊員期間を経て町観光協会に就職し、事務局長として活躍している。厚真町共栄在住。