1800(寛政12)年にユウフツ(勇払)とシラヌカ(白糠)へ移住した八王子千人同心の蝦夷地での実態は関連資料が少なく、謎が多い。そうした中で、釧路市の無量山自然院大成寺で原半左衛門胤敦が奉納した鰐口(神社仏閣の正面につり下げられる鈴のような仏具)の発見は、千人同心の当時の活動の様子を知る手掛かりになるだけでなく、まだまだ各地に眠っている歴史資料があることを再認識させられた。
鰐口を白糠の地へ納めた原半左衛門は、八王子千人同心千人頭を務めた原家の10代目で、弟新介と共に同心の次男三男を率いて蝦夷地へと渡った一団のリーダーである。
半左衛門の指揮の下、同心たちは白糠と庶路(現・釧路管内白糠町)、音別(現・釧路市)地区に分駐して警備、開拓、土木事業に取り組んだ。このような蝦夷地での生活において、鰐口は何らかの意図、願いをもって製作されたと考えられる。
特徴的なのは、鰐口に刻まれた「白糠三十番神」の文字である。原家の菩提(ぼだい)寺は八王子にある日蓮宗の寺院(本立寺)で、日蓮宗では三十番神(30の神々が1カ月30日の間、毎日交代で国家と人々を守る)を重視するという。原半左衛門は先祖代々の信仰を蝦夷地へ持っていったのである。
当館で八王子千人同心をテーマにした展示会が行われるのは20年ぶりである。このタイミングで鰐口が見つかり、展示する機会に恵まれたことに何かしらの縁を感じずにはいられない。
(佐藤麻莉学芸員)