続・活発だったアイヌの交易 根室のラッコが道南松前へ

  • THE探求 歴史から伝える「むかわ学」, 特集
  • 2020年8月6日
穂別のペップトのかしわ(田代学芸員提供)

  皆さんこんにちは。今回は「旧穂別町の町史に登場する山庫の宝物」の続編です。

   前回の最後で触れたイタリアのイエズス会宣教師ジローラモ・デ・アンジェリスが取りまとめた報告書には、アイヌ民族のことが紹介されています。アイヌ民族は乾魚、ニシン、白鳥、ツル、タカ、鯨、トドの皮や油などを松前へ持って来て、金銭ではなく、米や絹、木綿の衣服など当時の北海道では生産されていなかった品物と交換しました。

   特に東のアイヌが取り扱うラッコの皮は大人気でした。ラッコは根室千島辺りで見られる動物です。こんなに遠くの産物が松前に届くのですから、交易は全道規模で行われていたでしょう。むかわのアイヌ民族も村や家族のために、たくさんの品物を乗せて船をこぎ、松前に向かった様子がうかがわれます。

   いろいろな人が集まって交流をすれば、なんらかの形で病をもらってしまうこともあります。「風邪をもらったよ」なんて会話、耳にすることがありますよね。ですが、山庫の宝物伝説に登場する病「疱瘡(天然痘)」はかなり難しい病気です。もともと北海道にはなかった病気と言われます。幕末に北海道を探検した松浦武四郎の著作物には、疱瘡で苦しむアイヌ民族の様子がたくさん記されています。

   疱瘡は、歴史の教科書にも登場する天然痘の別名です。高い致死率で、人類は有史以前からこの病気に苦しみました。18世紀に種痘法が発明されるまでほとんど打つ手がなく、運よく回復しても、重い後遺症が残ることがあったと聞きます。1980年5月にWHO(世界保健機関)が天然痘の根絶宣言を出しましたが、ひとたび流行すれば、恐ろしい病気であることに違いはありません。

   山庫の宝物伝説に登場する交易で大儲けをした若者夫婦は、交易先で病気をもらってしまったのでしょうか。私は「大きな家」というキーワードが、ヒントになるのではないかと考えています。成功して大きな家を建てたら、遠くの親戚や得意先のお客さんをたくさん招待して、パーティーを開きたいと思いませんか。きっとその中に発病してはいませんが、そうとは知らず、病気を持ち込んでしまった方がいたのかもしれません。

   穂別地方に伝わる山庫の宝物伝説は、松前藩とアイヌ民族が自由に交易をした17世紀ごろ、今から400年くらい前にはすでに成立していたと思われる、とても古い伝説なのです。

  (むかわ町教育委員会、田代雄介学芸員)

  ※第1、第3木曜日掲載

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