ホッキ貝資料館館長 高野幸康さん(70) まちの魅力楽しく伝える 「資料館は人生の宝物」

  • ひと百人物語, 特集
  • 2020年8月1日
「ホッキ絵馬」の前でほほ笑む高野さん
「ホッキ絵馬」の前でほほ笑む高野さん
とまこまい港まつりでホッキ音頭を踊った後の高野さん(左)=2005年
とまこまい港まつりでホッキ音頭を踊った後の高野さん(左)=2005年
サッカー同好会に所属していた高校時代
サッカー同好会に所属していた高校時代
札幌市内で開催されたマラソン大会に出場した高野さん=1987年
札幌市内で開催されたマラソン大会に出場した高野さん=1987年

  鮮やかな黄色の外観にホッキのキャラクターの絵が目を引く苫小牧市港町の「ホッキ貝資料館」。一歩足を踏み入れると、貝殻に願い事を書いた「ホッキ絵馬」が鈴なりで出迎える。展示物は、ホッキの歴史や漁の説明パネル、工芸品、料理のレシピと盛りだくさん。「ホッキ水揚げ量日本一のまちを楽しく紹介できる場所にしたかった」。館長の高野幸康さん(70)は穏やかな笑みを見せた。

   苫小牧市浜町生まれの西町育ち。1950年代の西町は新興住宅地で海に近く、郊外には牧場や林が広がり、ニホンザリガニが捕れる川もあった。小学校時代は浜辺が遊び場。漁を終えた漁船を引き揚げる作業を手伝い、大人と一緒にウインチを巻き上げた。「漁師さんからお礼にサラ貝をもらった。たまにホッキをもらうとうれしかった」

   小中高と市内で過ごし、大学は京都へ。卒業後はふるさとに戻り、札幌市内の郵便局に通勤しながらアウトドアざんまいの日々。職場の山岳部に所属し、道内の山を巡り、マラソンにも挑んだ。

   転機は1993年、40歳を過ぎた頃だ。「苫小牧は何もないまち」と言われ、ショックを受けた。「目の前に太平洋が広がり、樽前山と裾野を流れる美しい有珠川がある。雪は少ない。こんなにいいまちを知らないのはもったいない」。苫小牧の知られざる魅力を発信するため、95年に苫小牧のまちづくりを考える会「ゆうべあ」を有志と設立。名付けたのは高野さん。まちづくりにプラスになることは何でも「言うべや」。仲間と思いを語り合えば実現に近づく。そんな思いを込めた。

   郷土史や文化財の紹介ツアーを開催し、建築家や博物館学芸員など各界の講師を招いた勉強会も開いた。24(大正13)年に苫小牧を訪れた宮沢賢治にも早くから着目。2003年から賢治が歩いた道をたどるツアーを行い、06年には駅前本通りに高野さんのしたためた賢治の詩をプレートにして、歩道に埋め込む取り組みも行った。

   02年には「ホッキ音頭」を作詞した。水揚げ量日本一のホッキで苫小牧をアピールするため、樽前山やハナショウブなど苫小牧のシンボルをちりばめ、「夢は広がる太平洋、波にゆらゆら心が育つ」と苫小牧人の心意気を表現した。さらに、苫小牧漁協やぷらっとみなと市場に相談して06年7月、市場内の空き店舗に「ホッキ貝資料館」を開設。翌年、現在地に移転した。

   「ホッキは食べましたか」。入館者に気さくに声を掛ける。貝合わせ、占い、ジグソーパズルなど、ホッキの貝殻を使ったゲームもあり、個性あふれる内容が人を引き付ける。「資料館は私にとって人生の宝物。多くの笑顔に出会い、会話することで私自身が成長した。苫小牧の魅力を伝える活動ができた」と感じる。今後も埋もれている苫小牧の魅力を発見し、地域の活性化につなげる考え。「資料館をもっと進化させていきたい」と力を込めた。

  (平沖崇徳)

   高野 幸康(たかの・ゆきやす) 1950(昭和25)年3月、苫小牧市生まれ。苫小牧西小、光洋中、苫小牧東高校を経て立命館大法学部卒。苫小牧カーリング協会理事として競技の普及にも努め、A級インストラクターと審判員の資格を持つ。海好きが高じて小型船舶操縦士免許1級も保有。苫小牧市光洋町在住。

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