皆さんこんにちは。夏らしくなってきましたね、いかがお過ごしでしょうか。新型コロナウイルス対策で手洗いの励行やマスクの着用、不要不急の外出自粛などさまざまな予防活動に取り組まれている方が多いこととお察しいたします。
このたび人生で初めて、一般紙の連載をしてみませんか―というお声掛けをちょうだいしました。内容は「歴史の視点から見たむかわ」についてです。私はむかわ町で学芸員(考古・歴史一般)の仕事をしております。以前、先輩から「地元のことを知りたければ、まずは3年住んでみろ」と諭され、はや7年が過ぎました。まだまだ勉強の日々ですが、私の記事にお付き合いいただければ幸いです。今回は、旧穂別町の町史に登場する「山庫の宝物」(原本・更科源蔵筆録)という穂別地方のアイヌ民族の伝説を題材としてご紹介いたします。
昔、穂別の和泉下には大きな集落があり、よその群盗に取られないように、宝物を隠しておく山庫があったと伝えられています。ある若い夫婦が松前へ交易に行ってもうけ、古老たちが建ててはいけないと言っていた大きな家をつくったところ、疱瘡(ほうそう)と呼ばれる病気がはやって集落が全滅。宝物を秘蔵しておいた山庫が分からなくなり、そのままむなしく朽ち果ててしまいました。
山庫の宝物伝説に登場する「松前」は、渡島管内松前町に存在した松前藩の城下町のことです。松前を拠点として江戸や大阪、千島、樺太、中国を結び、北海道やそれ以北で産した特産品が海路を通じて本州へ物流する大きな商業ルートがありました。山庫の宝物伝説は、物語の最後でバッドエンドになってしまいますが、話の内容としては、松前藩とアイヌ民族が対等に交易をした頃の考え方を表現していると思います。
対等な交易の姿を知ることができる史料は、実際とても少ないのですが、1621年ごろ、イタリア人のイエズス会宣教師ジローラモ・デ・アンジェリスが取りまとめた報告書が有名です。アンジェリスは布教のために日本を訪れ、会の命令で松前に滞在した時、北海道がヨーロッパとつながっているのかどうかなど、地理的な情報を知るために、人々から北海道の情報を聞き集めていました。
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シシャモや恐竜の町として知られるむかわ町。それ以前から存在する「歴史の視点から見たむかわ」について、考古学を専門とする町教育委員会の田代雄介学芸員が紹介する。毎月第1、第3木曜日に掲載します。
田代雄介(たしろ・ゆうすけ) 埼玉県出身。東洋大史学科卒。専攻は考古学。卒業後は埼玉、東京で埋蔵文化財の調査員を務め、オホーツク管内斜里町では埋蔵文化財センターに勤務した。2013年にむかわ町教委の学芸員に着任。今年2月、アイヌ民族のチャシ(とりで)跡をまとめた冊子「北海道鵡川流域のチャシ跡群」を自費出版した。41歳。