厳寒の北海道。窓の外に雪が舞い、氷点下10度を下回る朝も珍しくない。そんな日々の中で、不意によみがえるのは遠く四国の高知県で出合った「鍋焼きラーメン」の記憶だ。
あの日、国道56号は太平洋に寄り添うように続いていた。エメラルドブルーの海は冬でも澄み渡り、砂浜には波が規則正しく寄せては返していた。右手に広がる弧を描くビーチや港には、時折1人か2人の人影が点のように小さく、広大な砂紋の上を歩いていた。山々は深い緑をたたえ、冬の陽光を浴びて穏やかな表情を見せていた。
そんな高知の店に入って運ばれてきた陶器の鍋。蓋を開けた瞬間の湯気、立ち込めた鶏がらの香り。北海道育ちの私にとって珍しい細麺が、不思議なほどしっかりとスープを絡めていた。鍋の底に沈んだ鶏肉を探す楽しみ。たっぷりのスープに頬を緩めながら、窓の外に広がる冬の太平洋を眺めたものだ。スープの最後は、つやつやと艶めく白いご飯と共に味わい、心までほぐれていくような幸せなひとときだった。
今は雪の多い北の地で、太麺の熱々ラーメンに心を温める日々。でも時折、あの鍋焼きラーメンのぬくもりが懐かしくなる。潮風と共に味わった南国の味は、心の片隅で特別な記憶として輝き続けている。
遠く離れた土佐の海岸線と、あの温かな鍋の記憶が、極寒の夜に心を温めてくれる。冬の装いは、北と南でこうも違うものかと思うが、時に食の記憶は、遠く離れた場所への懸け橋となる。
(苫小牧工業高等専門学校准教授)