むかわ町生田の宮沢賢治学会イーハトーブセンター会員、土井重男さん(80)は、詩人で童話作家の宮沢賢治が書いた童話「銀河鉄道の夜」の第四次稿を考察してまとめた冊子「第四次稿と地上世界 銀河鉄道の夜 読む知る苫小牧を歩く」を発行した。作品の舞台のモデルを苫小牧とする論文が発表されている中、改めて検証し「苫小牧の可能性が高いと考えられる」と結論付けている。
「銀河鉄道の夜」は改稿を重ねられた作品で、初稿の第一次稿は1924年ごろ、第四次稿は31年に執筆されたとされる。作品の舞台のモデルを苫小牧とする説は同学会の会員が2013年に発表し、16年に論文にまとめている。
土井さんは冊子の中で、宮沢賢治が1924年5月に岩手県花巻農学校の修学旅行生を引率して苫小牧を訪れたことを紹介。続いて宮沢賢治研究資料集成などを引用し、第四次稿で加えられた第1~第3章、さらに第4章、第9章の一部が、賢治が苫小牧で詠んだ詩「牛」などと関係するとした。
考察の内容は宮沢賢治入門(分銅淳作、栗原敦編)から銀河鉄道の夜の第1~第4章と第9章を転載し、文中に注釈を用いて説明。第4章で主人公の少年ジョバンニが坂を下りる場面で書かれた「街灯」のモデルと思われるものが24年ごろの苫小牧に2~10基設置されていたこと、同じ場面で表記されている「電灯」は10年に操業を開始した王子製紙苫小牧工場が関東以北で最初に変電所を設置したため、賢治が興味を持ったと考えられるとした。
第9章で牧場関係者がジョバンニに話す言葉に出てくる「大将」は、06年ごろ苫小牧で創業した近江牛乳店の搾乳担当者が、育てていた子牛に付けていた愛称と考察。苫小牧で詠んだ詩「牛」に登場する、月光の下で戯れるエーシャ牛も関係しているとした。
このほか、第1章にある学校や第2章の活版所、パン屋などは、賢治が訪れた時に苫小牧に存在していたとして、苫小牧案内図(苫小牧商工会34年3月)を用いて紹介している。
土井さんは2021年4月に結成された宮沢賢治と苫小牧の会の講師も務め、賢治作品と地元との関連を示唆する評論などをまとめた郷土誌「賢治&苫小牧」に評論を投稿している。第四次稿は賢治が亡くなる1年半前に執筆されており、「賢治は死ぬまで苫小牧のことが気になっていたのではないか」と話した。
冊子は、H5サイズ、23ページ。24年12月20日に100部発行し、同学会などに40部を送った。希望者は土井さんにファクスを送信し、書籍代2000円を支払うと購入できる。ファクス0145(43)2202。