詩人で童話作家の宮沢賢治が来苫して100年の今年、市内では春から市民有志主催の講演会や読書会、作品展、コンサートなど多彩な記念イベントが繰り広げられた。約30年の新聞社勤務を振り返っても、こんなに取材で賢治の話題に触れる機会はなかった。
道産子の祖父母から賢治来苫の話を聞いた記憶はなく、初めてその事実を知った際には「すごいことではないか!」と興奮した。
賢治は1924(大正13)年5月21日、岩手県花巻農学校の修学旅行引率教師として来苫。深夜に街を散策し、前浜で見た光景を詩「海鳴り」や「牛」にしたためた。駅前通の歩道にこれらの詩を刻んだり、宿泊先の富士館があった場所を示したりするプレートが埋め込まれ、旭町には詩碑も立つなど、あちこちに足跡が残る。
知人に「牛」の原稿の写しを見せてもらったときは胸が熱くなり、修学旅行復命書にあった「八時苫小牧に着、駅前富士館に投ず」の通り、同時刻に夜の駅前通りを歩いてみた。
苫小牧での賢治イベントは、いまだ大きなムーブメントには至っていない。一部愛好者の間で少しずつ盛り上がり、2003年以降、恒例化した。なぜもっと早い時期から市民の関心が高まらなかったのか不思議だ。
賢治は来苫の前年に樺太視察旅行で来道し、亡き妹トシにささげる詩「噴火湾」(ノクターン)を作った。「銀河鉄道の夜」は来苫と同じ年の作品。ある賢治研究者は「北海道で見た風景や体験から着想を得た」と推考する。創造力が膨らむ。
長年、苫小牧でイベントに携わってきた有志の一人が「高齢のため最後の参加になる」と話し、寂しい気持ちになった。賢治がこの街を歩き、作品を残した史実をこれからも伝えていきたい。
(藤岡純也)
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2024年もあと3週間。記者たちが今年、印象に残った出来事を振り返る。