染色家だった母がいつも「『都の赤』じゃあないと気に入らないのよ」と言っていた。たくさんの色の中でも、特にその赤い色を大切にして帯やバックなどを見事に染め上げ、完成させていた。もしかしたら本当の呼び名は違うのかもしれないが、母の愛が詰まった、母の生きた証しを表現する色として「都の赤」は私の中で生きている。赤の色だけでも何十色と、ある中で、母が指す「都の赤」は「渋く奥深く、輝かしい色の赤」だった。
色や艶はまったく違っていたけれど、子供の頃に安心を感じる赤チニキの赤があった。昭和時代には、どこの家にも常備薬として備えてあったと思う。膝や指の擦り傷、切り傷、時には顔の傷までも赤チニキを塗っていた。これさえあれば傷は完治すると完全に思っていた。塗ると皮膚は赤く染まり、いつしか赤色が消える頃には傷は治っていた。治ると信じていた。今、思えば不思議な薬だった。いつの頃からか、あの赤チニキを見なくなった。赤チニキの赤色には安心感があったように思える。
そして「都の赤」は母の思いや姿につながり、私を安心させた。作品を作って生計を支え、私を育てた母の指先を時折思い出す。色づいた指先で物作りと生きる厳しさを私に知らしめた。染まった指に母の愛を感じ、守られて安心して暮らしていた。世界中に同じ赤色はあるのだろうけれど、母の好きだった「都の赤」は日本にしかないみやびな色の名前。母の愛の色。「都の赤」は日本の色。誇り高く日本の象徴として絶対的な安心をもたらし、赤く、くっきりと聡明(そうめい)な白生地に染められている、紅の色である。
(みらいづくりハマ遊の友代表・苫小牧)