イランカラプテ(こんにちは)。前回のチキサニ通信でご紹介した物語『臼の婆さん』の最も重要なテーマは、人間が作った道具であってもカムイ(神)として尊ぶということです。しかしながら、主人公の一家が夜襲に遭うという物騒な出来事や、それに対する復讐など、内容がショッキングで、記憶に残りやすい物語であると思うのです。中でも夜襲はアイヌ語でトパットゥミと呼ばれ、ある特定の村が一団となって別の村へ向かい、夜にその村を襲って住民を全滅させ、宝物を奪っていくとされています。
アイヌ民族の口承文芸には、この「トパットゥミ」という言葉を散見することができますが、その恐ろしさや残忍さを語り継ぐというより、聞き手の記憶に作用する話題性としての役割が大きいのかもしれません。
トパットゥミがかつて現実にあったのかどうか、はっきりとは分かっていません。しかし、こうした出来事が起これば、『臼の婆さん』のように必ず復讐が行われ、その復讐が復讐の連鎖を生み、収拾のつかない事態になるのは火を見るより明らかです。そうした悲劇の争いを避けるため、アイヌ民族は「チャランケ」という方法によって武力に頼らずに問題を解決していたのです。
チャランケのチャは「口」、ランケは「~を下ろす」という意味で、「談判する」と訳されています。日常会話の中で「チャランケつけられた」という言葉を耳にすることがありますが、それには「言い掛かりをつけられた」というネガティブな意味合いを含む場合が少なくありません。しかしそれは間違いで、言葉と知恵を駆使して論理的に「議論する」というのが、チャランケの正しい意味です。
例えば、村と村の間で容易に解決できないもめ事が起きた場合、コタンコロクル(村おさ)同士が公開の場で徹底的に議論し、どちらかが自らの非を認めて謝罪するまで数日間続くこともあったといいます。ですから、コタンコロクルになる条件として、ラメトク(勇気)、シレトク(美貌)、そしてパウェトク(雄弁)が必要とされたのです。
白老でアイヌ民族の風習を記録した満岡伸一(1882~1950年)の著書『アイヌの足跡』には、「大勢の傍聴人に囲まれ、炉を隔てて対座し、互いに自己の主張を高唱し…」とチャランケの様子が記されています。
(しらおいイオル事務所チキサニ・森洋輔学芸員)
毎月第2、4月曜日に掲載します。