1988年4月、現桧山管内せたな町にある桧山北高校に転勤した。72年に今金と北桧山の両高校が統合して1学年に普通科5クラス、農業・生活科1クラスがあった。当然アイスホッケー文化はなく、1年目は柔道部、2年目にはバドミントン部の顧問をそれぞれ受け持った。
わんぱく者が多かったアイスホッケー選手とは違う、競技ごとに生徒の気質があることを学んだ。3年目から再び柔道部の顧問になり、支部予選を突破した男子選手と2人で夕張市開催の北海道大会に向かった。公式練習時に指導者の中で一人だけ柔道着を身に着け、教え子と乱取りをしたのはいい思い出だ。
桧山北は山岳部も強く、引率を頼まれて夕張岳を登ったこともある。驚いたのは当番校になった道大会。私は会場となった道南最高峰の狩場山(1520メートル)中腹で懇親会の準備をしていた。突然「おーい、正靖」と名前を呼ばれ振り向くと、苫小牧東高の生徒時代に習った社会科の先生が立っていた。苫東から函館中部高に転勤し、山岳部の顧問をしていた人で偶然の再会に胸が弾んだ。
ただ、アイスホッケー熱は冷めていなかった。桧山管内の冬スポーツの主流はスキーだが、赴任2年目のある日、「アイスホッケーやるべ」と親しい体育科教員らを集めてチームを結成した。
当然、アイスホッケーはおろか、スケートすら履いたことのない人がほとんど。それでも毎年冬に開かれる全道教職員大会出場を目標に掲げた。不安視する声には「大丈夫。絶対優勝させるから」と豪語してかき消した。
防具は仲間内でお金を出し合い、苫小牧市内で中古品などを買いそろえた。
初陣となった旭川開催の教職員大会前日、チームメート全員を苫小牧に集めて防具の着用方法やルール講習を含めた氷上練習をした。丁寧に教えたつもりだったが、いざ試合になるとルールを忘れて、相手ゴール前から頑として動かない仲間が多く「早く戻って来い」と呼んでばかりいた。それでも、楽しそうに競技に親しむ仲間の姿を見て、私もうれしい気持ちになった。
最終的には教職員大会Dクラス優勝を達成できた。その後はメンバーの転勤が相次ぎ、私も1994年春に苫小牧西高に異動したが、チームは私が60歳にるまでほぼ毎年大会に出場した。解散式は2018年春に札幌市内のホテルで行った。
苫小牧ではできない経験をたくさん積んだ桧山北の6年間。多くの出会いに改めて感謝したい。
(構成・北畠授)