道の駅ウトナイ湖海鮮パーク代表 滝本博さん(71) ジョークさく裂にぎやか接客  言葉のサービス大切に

  • ひと百人物語, 特集
  • 2020年4月4日
気さくな人柄で客を迎える滝本さん
気さくな人柄で客を迎える滝本さん
海鮮パーク1周年記念の催しであいさつに立つ=2015年6月
海鮮パーク1周年記念の催しであいさつに立つ=2015年6月
楽しんでもらうため、サンタクロースの姿で押しずしを作る=2014年12月
楽しんでもらうため、サンタクロースの姿で押しずしを作る=2014年12月
妻由紀さんとの登別旅行の一こま=1973年1月
妻由紀さんとの登別旅行の一こま=1973年1月

  「きょうの11時59分までに食べてね。午前0時を回るとガラスに変わるよ」。軽妙なジョークに訪れた客が沸く。販売するのはカニなどを使った「押しずし」。道の駅ウトナイ湖内のすし店海鮮パーク。店主の滝本博さん(71)の愛称は「カニおやじ」だ。

   「子どもの頃から内気で引っ込み思案。学芸会は立ち木の役さ」と小学校時代を振り返る。中学3年の時は中学校の校舎が火事になった。テレビ局の取材には「マイクを向けられても一言も話せない。局の人が『言葉が出ないほど悲しい思いですね』とまとめてくれたね」と苦笑いした。

   1967年に苫小牧市内の高校を卒業後、室蘭のガス会社や大阪を拠点にトラック運転手を経験。80年代半ばに苫小牧に戻り、友人が役員を務める宅配弁当製造会社を手伝った。87年から別の弁当会社を経営。好景気に沸く事業所への宅配は好調だった。

   だが89年のバブル崩壊で会社が倒産。妻と子どもを抱え、多額の借金を背負った。ぼうぜんとしたが、必ず春は来ると心に言い聞かせた。生活の糧を考えて思い付いたのはカニの行商。40歳すぎの挑戦だった。氷を満載した軽ワゴン車に札幌の問屋で仕入れたカニを詰め込み、胆振東部の農家を売り歩いた。通信販売のない時代で「カニは料理店で食べるか、買いに出掛けるもの。行商にはニーズがあった」。贈答用にも喜ばれた。

   95年、行商の実績が見込まれたのか、問屋から「百貨店の北海道物産展でカニを売らないか」と誘われ、二つ返事で引き受けた。各地の北海道物産展は大人気。販売の現場で話術も磨いた。

   「カニに目のない皆さん、カニには目があります」「このカニを食べてけがしたらけが人(毛ガニ)だよ」。そんなトークが受けた。「お客さんは買い物をする時間が幸せ。その幸せに言葉でサービスをする。このスタイルは今も変わらないね」。内気だった少年は人気の販売員に。お客から親しみを込めて「カニおやじ」と呼ばれた。

   カニ1匹を5分で解体する技術と押しずしの作り方を習得した。99年に再び独立して小樽市内の大型商業施設でカニ料理店を出したが、2年後に運営会社が倒産。再度の苦境にもめげず、カニの通信販売業務などに専念した後、道の駅の空きスペースに2014年、海鮮パークを開店した。

   物産店での販売で培った技術を生かし、カニを中心にホッキ貝やサケ、サンマなどの具材で作る押しずし。観光客はもちろん地元客からも好評で、会話を楽しみに訪れる人もいる。「リピーターも多い。味が評価されていると思うとうれしいよ」と目を細める。商売で憂き目も見た半生だが「活力を持って生きることが『生活』。いつまでも活力を持ち続けることが大切さ」と常に前を向く。

   「お客さん、東京から来たの? 知事に代わってお礼申し上げます」。カニおやじのトークはきょうも絶好調だ。

  (平沖崇徳)

   滝本 博(たきもと・ひろし) 1948年4月、厚真町生まれ、旧穂別町(現むかわ町)育ち。苫小牧工業高校機械科卒業。家族は妻と、結婚して独立した長男。趣味はカラオケと鼻で息を吹き込み奏でる「鼻笛」。苫小牧市汐見町在住。

過去30日間の紙面が閲覧可能です。