厚真、安平、むかわの3町を抱える胆振東部消防組合(本部・厚真町)の発足時から約40年、あらゆる防災に力を尽くしてきた。早来支署長をはじめ、追分出張所長、安平支署長などを歴任し、特に生まれ育った旧早来町、現安平町の防災に大きく貢献した。慌ただしかった一線を退き、静かな日々を送る中、「40年って聞くとなんか長い気もするが、今思えばあっという間の40年だった」としみじみ振り返る。
1971(昭和46)年7月、立ち上がったばかりの胆振東部消防組合で早来支署に配属され、消防士としてのスタートを切った。とはいえ、当時の職員は畠山さんを含めたったの3人。いつも庁舎に詰めているか、待機の状態で「家に住んでいる感じではなかった」と言う。
その頃、多かったのが木工所や木材会社での火災。「放火の疑いもあるということで、連日にわたる警戒や査察など努力、工夫もした。ところが、警戒を解いて2、3日すると、また火事が起きて…。『やられたな』ってね」。他にも、追分の機関庫であった火災や出光石油化学(当時)のタンク火災などにも応援で駆け付け、現場を駆けずり回った。
現場は常に危険と隣り合わせだったが、「けがも病気もすることなく職務を全うすることができた」と表情を和らげる。「体力には自信があったので、つらいと感じることはなかった。今思えば、自分に合った仕事だったんだと思う」。そこは胸を張って言える。
何より現場で動き回ることが好きだった。若い頃は、仕事がなければ近所の野球場で草野球を楽しみ、一線を退いた今でも、アルバイトや夏場は孫の野球観戦に遠方まで足を運ぶ。
2011年3月で退職したが、その功績が認められて昨年11月に第33回危険業務従事者叙勲で瑞宝単光章を受章した。「何か特別なことや手柄を立てたわけでもないのに、表彰を受けていいのかなと思う。世の中にはまだまだ素晴らしいことをしていて表彰されていない人もいるのに。消防団員なら分かるんだけど」と謙遜する。自分よりも周り思いのところに、温厚な人柄がにじみ出る。
そんな父親の背中を見て育った2人の息子が、代わりを務めるように現在、消防団のメンバーとして地域の防災に奔走している。「消防団のなり手が少ないと言われている中で、うれしいなって思う」。父の意思を受け継ぐ息子たちの姿を喜びながら、「いざ何かあった時に消防団は非常に頼りになる存在。頑張ってほしい」と活躍を期待する。
近年は火災だけでなく、大きな地震や台風、豪雨など災害は多種多様だ。消防が地域で果たす役割は年々増している。一昨年9月に胆振東部地震で震度6の被害を受けた安平町も例外ではない。「顔を合わせたら力づけるぐらいはするけれど、とやかく言うことはしない。まずは体で。動いて」。最前線で奮闘する後輩たちを優しく見守る。
(石川鉄也)
畠山 與志則(はたけやま・よしのり)1951(昭和26)年3月、旧安平村(現安平町)生まれ。追分高校卒業後、2年ほど実家の農家を手伝い、71(同46)年7月に発足した胆振東部消防組合の消防士として早来支署に配属。厚真町の本部などで勤務した経験も。80(同55)年から消防士長、85(同60)年から消防司令補、94年10月からは消防司令として地域に貢献した。安平町早来栄町在住。