スポーツ回顧【下】 2019―名将・佐藤茂富氏去る「偉大な功績、つなぐ思い」

  • スポーツ, 野球
  • 2019年12月28日
11月に札幌市内で開かれた佐藤茂富氏のお別れ会。祭壇前で夏の甲子園歌「栄冠は君に輝く」を合唱する鵡川高野球部員ら

 主にスポーツ界で長きにわたって指揮を執り、輝かしい実績を挙げた人物をたたえ、名将という言葉を文章内でよく使う。砂川北、鵡川の公立高校を春夏計6回も甲子園に導いた名将佐藤茂富氏が、今年8月に79歳でこの世を去った。

 1940年に三笠市で生まれた佐藤氏。北海道学芸大(現道教育大)札幌校を卒業後、栗山高、砂川北高でそれぞれ教壇に立ちながら野球部を指揮。97年から鵡川高の監督となり、2012年夏に退くまで50年間、北海道の高校野球を盛り上げてきた。

 14年春に鵡川の総監督を退任し、むかわ町を去ったあとから高校野球担当になった記者。在りし日の姿を少しでも知り、読者と共有したい―。道内各地に散らばる佐藤氏と縁の深い4人に話を聞いて回った。

 小池啓之さん(68)=旭川市在住=は1998年から4年間、佐藤氏と共に鵡川で奮闘してきた。「代打を送り交代したはずの選手が守備に就いていたり、遊びの野球がいいと退部届けを出してきたのもいた」チームを、一気に全道トップクラスの強豪へ押し上げた。ミーティング時に必ず選手らに伝える言葉は「全力疾走だけは忘れずに」。競技に対する姿勢をとことん突き詰める熱血漢だったという。

 「うち(鵡川)の野球を初めて見た人が、ファンになるような試合をしなさいとよく言われた」と当時を懐かしんだのは、2002年に鵡川のエース右腕としてセンバツ甲子園に出場し、17年夏から母校の監督を務めている鬼海将一さん(35)。単なる野球指導者ではなく、人を育てる教育者としての功績を挙げ、「敬語も使えない無知な自分をここまで引き上げてくれた」ことに尽きない感謝を述べた。

 佐藤氏死去から約2カ月後の秋季北海道大会。駒大苫小牧を支部予選で破った鵡川をはじめ、折霜忠紀部長(元鵡川野球部監督)の札幌日大、山本裕也監督(同部長)の函館工業、亀田直紀部長(同OB)の白樺学園、小野寺大樹監督(同部長)の滝川西など佐藤氏とつながりの深い指導者在籍チームが多く名を連ねた。各氏は支部予選通過後、口々に言った。「先生が降りてきました」。名将の魅力は、天に昇ってもなお尽きることはない。(北畠授)

 おわり

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