全国B型肝炎訴訟北海道原告団日胆ブロック世話人・佐藤マチ子さん(67)救済へ正しい理解広げたい

  • ひと百人物語, 特集
  • 2019年11月9日
全国B型肝炎訴訟北海道原告団の日胆ブロック世話人を務める佐藤さん
全国B型肝炎訴訟北海道原告団の日胆ブロック世話人を務める佐藤さん
高校3年生の時、級友と学校祭の佐藤さん(前列左から2人目)=1969年ごろ
高校3年生の時、級友と学校祭の佐藤さん(前列左から2人目)=1969年ごろ
家族4人で登別市内のホテルに宿泊した佐藤さん(左)=2009年ごろ
家族4人で登別市内のホテルに宿泊した佐藤さん(左)=2009年ごろ
中学生の時、修学旅行で青函連絡船に乗った佐藤さん(中央)=1966年ごろ
中学生の時、修学旅行で青函連絡船に乗った佐藤さん(中央)=1966年ごろ

  集団予防接種の注射器や針の使い回しなどが原因で感染が広がったB型肝炎の訴訟で、北海道原告団の日胆ブロック世話人を務めている。自身も患者として全国で開かれる会合に出席して知識を深め、苫小牧で講演や広報活動を行い、正しい理解を広げようと活動を続けている。

   1952年、三石町(現・新ひだか町)で生まれ、育った。自宅の周辺は牧場や水田が広がり、牛乳の集荷場や精米所が点在する中、友達と明るく遊ぶ少女時代を過ごした。浦河町の高校卒業後、同町の農業協同組合に就職した。77年に夫の三雄さんと結婚して白老町に移住。大工として働く夫を支え、2人の子供に恵まれた。

   78年12月に白老町の病院で検査を受けた際、肝臓の数値が異常な値であることが分かった。B型肝炎について聞かされず、医師から入院するよう指示され、79年1月に同町の病院で入院。81年にも体調が悪化し、半年間通院する生活を強いられた。「最初は疲れだと思ったが、子供も小さく、家族に迷惑をかけて苦しかった」と振り返る。

   89年ごろ、苫小牧市に移住。病名が分かったのは、市立病院を受診した35歳の時だった。

   ウイルス性肝炎は、肝硬変、肝がんへ進行する病気だが、多くの患者は薬を服用して症状を抑えている。治療を続ける中、2011年ごろ、三雄さんからテレビのニュースでB型肝炎訴訟が取り上げられていることを教えてもらった。

   B型肝炎訴訟は、集団予防接種で注射針の使い回しなどが原因で感染したウイルス性肝炎の医療費助成拡大を国に求め、11年に和解で基本合意後、12年に被害者救済に向けた特別措置法も施行された。条件を満たした患者に給付金が支払われている。

   当初、自身は母子感染で発症したと思い、訴訟の対象ではないと考えていたが、調べると集団予防接種による発症と分かった。子供2人は母子感染し、特に長男は肝硬変となって闘病を続けている。「夢を奪ったことが一番つらい」と後悔するが、長男から「お母さんのせいじゃない」と言われ、子供のために道筋をつくろうと裁判に関わることを決めた。

   給付対象者となるには、国家賠償訴訟を提起する必要があり、請求できる年限は22年1月12日まで。集団予防接種によるB型肝炎の被害者は全国で40万人以上、日胆ブロック管内で100人以上いるとされる。だが、訴訟に参加するのは一部にとどまる。背景に周囲の無理解による差別や偏見などがあり「苦しんでいる人がたくさんいるが、顔を出したくない、病気のことを話せないと言う人も多い」と述べる。

   12年ごろから原告団の活動を手伝い、苫小牧では、18年に看護学校での講演、19年にイベントで啓発チラシの配布などを行った。より理解を広げるため、学校教育の場で講演できないか調整しているという。「多くの人にB型肝炎を知ってもらうため、活動を続けたい。対象者は訴訟に参加してほしい」と話した。

  (室谷実)

   佐藤 マチ子(さとう・まちこ) 1952年3月16日、三石町(現・新ひだか町)出身。浦河高校を卒業後、三石町の農業協同組合に就職。77年に結婚後、白老町や苫小牧市で過ごす。全国B型肝炎訴訟北海道原告団の日胆ブロック世話人を務める。苫小牧市のぞみ町在住。

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