「無形の戦力」―。陸上自衛隊第7師団第7音楽隊の第14代隊長・鍋澤勇雄1尉は、陸自で演奏を主任務とする音楽隊をこう称する。戦闘部隊などの「有形の戦力」に対し、演奏などを通した隊員の士気高揚などで、組織力を高める一翼を担ってきた。地域での演奏活動や技術指導などを通して、住民にも親しまれている存在だ。「音楽を通して皆さんの気持ちを高める」。その一念で胆振東部地震の被災地でも15カ所で慰問演奏した。
地震直後から音楽隊全34人(当時)が集まり、慰問演奏に向けて入念に準備した。演奏会仕様のフル編成はもちろん、数人で気軽に演奏できるアンサンブルに向けて、トランペットやサクソフォンなど、臨機応変にできるパート演奏を再確認。札幌の楽器店で譜面を購入し、最新の流行曲なども取り入れた。
普段からレパートリーはクラシックやポピュラー、映画音楽などあらゆる分野で約2000曲を誇るが「場にそぐわない曲はできない」と厳選した。「演奏そのものは普段通り」を心掛けつつ、被災地での演奏に「やはり普段とは全く違う。とにかく楽しんでもらう、リラックスしてもらうことが重要」と考えた。
最初の演奏は昨年9月10日の夕方、厚真町総合福祉センター裏で行った。第7後方支援連隊の入浴セット付近で、「お風呂上がりで涼む方に『よろしければ演奏します』と」。事前の告知も特にせず、トランペットやトロンボーンをはじめ、ドラムセット代わりのカホンを携えた5人編成で披露。わずか数人の「観客」で始まり、1時間ほどで約30人が耳を傾けた。
厚真、安平、むかわ3町の公共施設などで演奏会を開きつつ、同13~18日は苫小牧港・西港で毎夜、入浴支援が行われていた旅客船に駆け付け、10人程度でミニコンサートも催した。「音楽には感情を増幅させる作用がある」と指摘しつつ「『勇気を持ってください』と願って演奏した」。
誰もがなじみのある楽曲を中心に据えつつ「一方的に演奏を届けるのではなく、『皆さんで一緒にやりましょう』の思いだった。演奏でも手拍子を入れたり、一緒に歌えたりする曲を多くした」。西城秀樹の「ヤングマン」では、隊員も訪れた人も一緒に「Y.M.C.A.」の振り付けで盛り上がった。
年齢層なども考慮し、例えば子供が多ければ「アンパンマン」などアニメを、大人が多ければ「世界に一つだけの花」「見上げてごらん夜の星を」など往年の名曲を増やした。「リンゴの唄」では戦争からの復興と重なるのか高齢者が涙を流し、キロロの「未来へ」では家族連れが思わずぎゅっと手をつなぎ合った。
「初めは皆さんの不安も大きく感じたが、(災害派遣の)終わりには楽しんでいただけていたと思う」。音楽で被災地の復興を下支えし、「個人としては『続けられるのであれば続けたい』の思い。次の任務もあるのでずっとはできないが、被災地の復興はずっと願っている」。自衛隊が被災地に夢や希望も届けた。
(おわり。千歳編集部・金子勝俊が担当しました)