山麓林の中にある口無沼 支笏湖から苫小牧市街地北側の丘陵部にかけての広大な樽前山麓林。そのほとんどは国有林で、管理するのは胆振東部森林管理署。管理面積約6万3000ヘクタールのうち、多くの部分を樽前山麓林が占める。山麓林を一望するには樽前山に登るか、あるいは丸山遠見から見渡すかだ。
■丸山遠見からの眺望
丸山遠見は、苫小牧市街地から国道276号を支笏湖に向かって車で30分ほど走った左手の小山の上にある。山麓のなだらかな裾野の中で、小山といえば標高321メートルのこの「丸山」くらいで、頂上に丸太組の櫓(やぐら)が建てられ、見張り所のようになっている。
老朽化で近年は立ち入れず、今年度解体されるといい、本欄で紹介する写真はそれより以前に撮影したものだ。
高さ13メートルの櫓の上からは、360度が見渡せる。西方に樽前山、その右に932峰、風不死岳。大鳥が羽を広げたように並ぶ。さらに右にわずかに支笏湖が見え、モラップ山、紋別岳と続く。樽前山から左に視線を移すと、なだらかな裾野を樹海が埋め尽くし、その先は市街地を挟んで太平洋に至る。
「丸山遠見望楼の歴史は古く、明治中期に簡単なヤグラ建の見張り所が置かれたことに始まり、その後改築を繰り返しながら、今日まで百年余り森林火災防止や森林造成の推進に大きな役割を果たしてきました」と案内看板にあった。山麓林と人々との関わりの象徴のような遠見櫓が解体撤去されるというのはいかにも惜しい。
■噴火と二重根
この山麓林の出来事をたどれば、切りがない。
今、目の前にある山麓林は1667年の樽前山の大噴火によって、それまであった森林がほとんど全滅した後に形成されたものだという。この噴火の時にわずかに生き残ったエゾマツなどの樹木が、根が上下2段になった「二重根」として掘り出されることがあり、一部が苫小牧市美術博物館や支笏湖ビジターセンターに展示されている。
この山麓林で、最初に伐採をしたのは飛騨屋久兵衛という人物で、1700年代半ばのことである。久兵衛は、蝦夷桧といわれたエゾマツを桧山地方などで伐採して大坂や江戸に送っていた人物で、支笏湖周辺ばかりでなく勇払川にまでその足跡が見られる。
明治時代になると山麓林は皇室財産の御料林になった。産業ではマッチの軸木・小函素地工場が営まれ、同時代後期からは王子製紙が製紙原料を伐採した。
■台風被害と復興
戦後の大きな出来事として1954(昭和29)年の洞爺丸台風による風倒被害がある。エゾマツの美林が全滅に近い被害を受け、のち風倒木処理と植林が1960年まで続けられた。これら山麓林の出来事については、元苫小牧営林署職員で洞爺丸台風直後から樽前山麓林の国有林施業に従事された佐々木昌治さん(苫小牧)の著書「樽前山麓の森林」に詳しく記されている。
以下同書から。「風害前の林相はどうだったかといえば『針葉樹天然林が続いており、文字通り昼なお暗く、一人でなんかとても歩けなかった』と表現され、エゾマツ主体の老齢過熟林分が多かったようである。この辺から樽前山にかけて針葉樹の割合が70~80%を占め、蓄積は1ヘクタール当たり300立方メートル以上を有し、樽前山に近づくにつれエゾマツからアカエゾマツの比率が多い林が続いていた」
純林だったが故に風倒被害も大きかったといえる。
(一耕社・新沼友啓)
樽前山麓の森林の「見張り所」だった丸山遠見望楼丸山遠見から見渡した山麓林と、左から樽前山、932峰、風不死岳丸山遠見周辺地図
(丸山遠見案内板より)苫小牧市美術博物館に展示されている二重根。噴火で埋められた後、その上に再び根を張った樽前山山頂からは一面緑の山麓林が見渡せる