苫小牧工業で昭和時代はコーチ、平成時代は監督を務め、現在アジアリーグで活躍する選手も高校時代に輩出するなど、高校のアイスホッケー部に37年間携わった今井拓美元監督。当時の思いや今後期待したいことなどを聞いた。
―教員として初めての赴任先が苫小牧工業。
1980(昭和55)年に赴任し、アイスホッケー部のコーチを務めた。当時は駒大苫小牧がダントツに強く、苫工は苫小牧東と2番手を争っていた。実業団へ進むような選手も部に所属していたが、地区大会では勝つことが多いものの、インターハイ(全国大会)で負けていたイメージがある。
―他校を経て2007(平成19)年からは監督に。
低迷していた苫工を強くするため、陸上、氷上トレーニングは前年以上に厳しくした。また、取り組む姿勢や、何を目指し、そこに向けて何をすべきなのか―の目標設定を生徒たちにさせるようにした。技術面では、苫工OBがコーチとして協力し、熱心に指導してくれた。心強かったし、生徒たちもどんどん成長していった。
2008年の新人戦で2回駒大苫小牧に勝利し、6年ぶりに準優勝まで登り詰めることができたのは大きかった。10年には優勝も果たせた。全国選抜で3位入賞、インターハイも3位、実績がどんどん上がり、その頃は部員も40人を超えた。
―生徒に伝えたことは。
部活動を通じての人間形成を大事にし、何事にも全力で取り組むということは、常に伝えていた。勝つことはもちろん大事だが、その結果よりプロセスの方が重要。集団スポーツなので、「自分が」ではなく、「我々が」という精神でなければならない。ほかの団体競技もそうだが、局面は1対1で強くなることが必要となるが、それよりも2対1の形を作って味方をサポートし、いかに有利な展開を作るか―を理想としていた。
他校に在籍していたときもそうだが、生徒にはチームプレーの大切さを指導してきた。「1+1」は「2」ではなく、自分たち次第で「3」にも「4」にもなるということも伝えた。
―アイスホッケーを見てきて。
昔はどのチームも個性派集団というイメージだったが、平成後期ころからシステムに当てはめるようなチームづくりが主となり、選手の個性というものは薄れたかもしれない。練習でもシステムを試合で実戦するための時間がメインとなることが多くなった。もちろん個々のスキルも上達はしてきていると思うが、昔の名選手のような「この選手はこれ」というような、個性のある選手というのは、全体的に減ってきているように感じる。
―今後の苫工アイスホッケー部への期待。
自分の頃は、1シーズンを30人以上の部員で戦うなど、たくさんの縁に恵まれた。最近は競技人口も減る中、勉学で公立校へ進むより、アイスホッケーで私立校へ進むことが主流になっている。
指導していた頃は「公立が、いかに私立に勝つか」という目標を持ってやっていた。今後も、私立と対等に戦い、勝利できるチームをつくってほしいという思いを持っている。
(終わり)
プロフィル
今井拓美(いまい・たくみ) 1955年7月30日生まれ。苫工監督時、レッドイーグルス北海道の高橋聖二、相木隼斗、武部太輝、東北フリーブレイズの武部虎太朗を指導。苫小牧工業(コーチとして6年)~帯広三条(監督として3年)~苫小牧東(コーチとして1年、監督として17年)~苫小牧工業(監督として9年、部長として1年)。