一ぴきのエーシャ牛が 草と地靄に角をこすってあそんでゐる―。1924(大正13)年5月21日、岩手県花巻農学校の教師だった宮沢賢治は修学旅行の引率で苫小牧を訪れた。その際、前浜の情景を詠んだ冒頭の詩「牛」は詩集「春と修羅 第2集」に収められた。
その1年半前、最愛の妹トシを亡くした賢治がつづった詩「永訣(えいけつ)の朝」は教科書に載っていた記憶がある。半世紀も前なのに「あめゆじゆとてちてけんじや」は今でも言える。それほど印象が強く、深い悲しみが胸に迫る詩だった。賢治の目に「機嫌よくあそんでゐる」と映った牛たちは、賢治のつらさを少しは和らげることができただろうか。100年前を想像してみる。
2017年には「牛」の詩碑が、賢治が歩いたとされる旭町に建てられた。市内では今月、「百年目の賢治ウオーク」やアートの展覧会、講演会、飲食店の特別メニューなどさまざまなイベントが開催されたり、予定されたりしている。当時、賢治が宿泊した旅館「富士館」があったのは、旧商業施設「苫小牧駅前プラザエガオ」の駐車場に当たる場所だ。今の無残な姿も、来苫100年を機に、賢治の心を慰めたかもしれない光景に変わり始めてはくれないか―。(吉)