東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から13年。福島県沿岸部の「浜通り」地域に数多くあった地区ごとの祭りや踊りには、伝統が途絶えてしまったものもある。高齢化による後継者不足に加え、原発事故で帰還困難区域となった地域に戻ることができないなど、コミュニティー維持も困難な状況で、保存会の活動は苦難が続く。
県文化振興課によると、浜通りは五穀豊穣(ほうじょう)や豊漁を祈願し、神社に踊りなどを奉納する文化を持つ地域が多く、震災前は約430団体が活動していた。震災後、約350団体の住所確認ができたが、このうち6割が継承の危機にひんしているという。
「芸能が心のよりどころになっている地域がたくさんあった。途絶えさせてはいけない」。こう語るのは、NPO法人「民俗芸能を継承するふくしまの会」の懸田弘訓理事長(86)だ。復活しても1度きりという団体も少なくなく、同会は普段着と正装時での踊り、衣装の着方などを記録として残す活動を続ける。
同会によると、五穀豊穣を祈願する「田植踊」を行う団体は、浜通りだけで約80団体あったが、震災後に復活できたのは8団体。懸田理事長は「しきたりは時代に合ったものにしていい」と、性別や年齢などの制限がない継承を呼び掛ける。
浪江町南津島地区の田植踊。南津島郷土芸術保存会は震災後、「女人禁制」「地区出身者」といった踊りのルールを変えた。きっかけの一人が、同地区出身で東北学院大(仙台市)3年の今野実永さん(21)だ。踊り手の父の影響で、高齢化と人手不足に悩む同保存会の声掛けに応じ、中学3年のときに初めて参加。「踊った後、地区の人にすごく感謝された。参加して初めて踊りの大切さに気付いた」と話す。
踊りは七つの配役に分かれ計15人で披露する。20分に及ぶ演目を中腰で踊るなど、かなりの体力が必要な役もあり、高齢化が進む同地区ではいずれ踊りが披露できなくなると危機感を覚えた。今野さんは田植踊を学生らで支えるため「南津島民俗調査プロジェクト」を22年に立ち上げ、現在は約30人が参加する。
同保存会の三瓶専次郎会長(75)は、今野さんらの存在を「ありがたいし心強い」と語る。やり方を変えることへの批判もあるが、「伝統を無くして文句を言われるより、やり続けて文句を言われる方がいい。次の世代に期待と望みを懸けたい」と訴える。