いぶり勧学館に遊びに来る地域の子どもたちが心の底から笑っている姿には、まるで美しい南国の海や木々に囲まれて暮らす人々の屈託のない笑顔とどこか重なるものがあります。だけど次の瞬間。スマホに目を奪われ、そんな笑顔がすっと消えると、少し寂しく感じることもあります。
一時期、心の充実度を測る「国民総幸福量(GNH)」を重視し、話題になった「幸せの国ブータン」。テレビを見ていた母が懐かしそうに「日本も昔はブータンのようだったよ」と言っていましたが、その映像の中には、ゲームに夢中になるブータンの若者の姿も映し出されていました。
時代の変化にはあらがえないものがありますが、時代と共に私たちの内側で起きた「幸福感」に関係する変化とは何か。自分の経験から考えてみたいと思いました。
私自身、不登校から4、5年近く「引きこもり」になり、当時はひどい時で1日20時間もネットのゲームに没頭していました。起きてすぐパソコンの電源を入れ、ゲームをしながらご飯を取る状態で、その姿は、家族には「ものすごく利己的な塊」と見えていたと思います。20歳のころに一度バイトの面接を受けるも、不採用でとことん落ち込んで、やることもないので1人で海岸のごみ拾いをするようになったのですが、今思うとそのごみ拾いが足掛かりとなって就職のお話を頂き、人生ががらりと変わっていきました。「利己」の反対は「利他・奉仕」。エネルギーの方向性が真逆だからそうなったのでしょうか。
(いぶり勧学館館長・苫小牧)