ドラマを見ていたら、3カ月先の春になったら娘は「結婚する」、父は「他界する」と告白し合うシーンがあり、自分の父のことを思い出しました。
私の子供は男2人で3人目にやっと娘が生まれました。その2カ月後のこと、母が産後の手伝いでうちに来ている時、父が転倒して背骨を圧迫骨折しました。その後1カ月たっても痛みは治らないので、検査をしたら、肺がんが脊椎に転移していた痛みと分かりました。
医師には、とても淡々と「肺がんでステージ4、転移が脊椎、鎖骨、肝臓にみられ、手術は不可能。長くて余命半年です」と告げられました。約20年前のことです。
私は病気について調べ、良いと思ったものを全て試していき、抗がん剤も先生とよく相談して、治療を始めました。医師には父に余命の話だけはしないでほしいとお願いし、父には「娘が小学生になる時、ランドセルも机も買ってほしいからそれまでは生きて!」と伝えました。
そこから二人三脚で治療に取り組み、約2年後に奇跡の生還を果たします。体力面などから、医師には「これが最後になる」と言われた抗がん剤を投与した後、父は痛みと闘いながらもがんをやっつけました。医師は私に「今までたくさんの肺がん患者を診てきましたが、これは間違いなく奇跡です。完治しています」と言いました。
父は笑いながら「約束したからな! ランドセルと机を」と言い、約束を守ってくれました。その後も熱中症で余命宣告されたり、心筋梗塞や脳梗塞、認知症などと闘い続けたりし、娘が中学2年の時に天国へ旅立ちました。本当に何度も生還した奇跡の父でした。
(イベントプロデューサー・苫小牧)