能登半島地震は、能登地方を代表する夏から秋にかけての風物詩「キリコ祭り」にも大きな影を落とした。石川県珠洲市では、地震に伴う津波で巨大な灯籠「キリコ」が流失。輪島市でも祭りに向けた練習場所が被災した。「まちの誇りを途絶えさせたくない」。住民たちからは祭りの存続を望む声が上がる。
珠洲市宝立町では毎年8月、旧暦の七夕に合わせて「宝立七夕キリコ祭り」を開催している。いずれも高さ12メートルほどのキリコが鵜飼地区に4基、春日野地区に2基あり、当日は計6基を住民らが担ぎながら海岸沿いを練り歩く。
地震では海沿いの倉庫で保管していた5基が津波で被災し、内陸部の1基だけが残った。2次避難する住民も多く、祭りに長年参加する自営業米沢伊平さん(42)は「残った中で存続させ、祭りを過去のものにしたくない」と語る。
家族で市立宝立小中学校に身を寄せる会社員田中健一さん(44)は「家が倒壊したので、今は祭りの今後は考えられない」という。それでも、「祭りは生きがい。いつ再開できるか分からないけれど、いつかは」と思いを語った。
毎年8月に大規模なキリコ祭り「輪島大祭」が開かれる輪島市。祭りで和太鼓を演奏するチーム「輪島高州太鼓」が唯一の練習場所にする旧深見小学校の体育館は、地震で床がゆがむなど大きな被害を受けた。
チームは1999年、子どもたちが輪島大祭に参加できる機会をつくろうと住民らが設立した。現在は幼稚園児から高校生まで10人が参加している。キャプテンの橋本大輝さん(17)は「地震で太鼓の文化がなくなったら寂しい」と話す。
指導に当たる中橋幸雄さん(67)も、輪島大祭でのチームの演奏を待ち望む。練習場所は失ったが、「みんな祭りでうまく演奏するために一生懸命練習してきた。今年も(祭りが)できたら」と文化の継承に期待を込めた。