1970年代の連続企業爆破事件の一つに関与したとして指名手配された過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバー、桐島聡容疑者(70)を名乗る男が29日、入院先の病院で死亡した。捜査関係者への取材で分かった。
今後、DNA型鑑定などで本人と確認されれば、警視庁公安部は容疑者死亡のまま、爆発物取締罰則違反容疑で書類送検する方針。
捜査関係者によると、男は末期がんを患っており、今月、神奈川県鎌倉市の病院に入院した。当初は「内田洋」という名前を使っていたとみられるが、死期を悟ると「最期は本名で」と言って桐島聡を名乗った。25日から公安部の事情聴取を受けていた。
男は入院するまで、偽名とみられる「内田洋」の名前で、神奈川県藤沢市の工務店に住み込みで数十年間勤めていたことが判明しているが、詳しい生活実態や支援者の有無などは分かっていない。
桐島容疑者は1954年1月、広島県で生まれた。明治学院大に進学後、大学の仲間ら3人で「さそり」と称するグループを結成し、有名企業を狙って爆弾闘争を続けていた東アジア反日武装戦線の活動に参加した。75年4月に東京・銀座で起きた韓国産業経済研究所の爆破事件に関与したとして、同年5月に指名手配された。
同戦線は、8人が死亡した74年8月の三菱重工業ビル爆破事件を皮切りに、約8カ月間で12件の爆破事件を起こした。一連の事件では、桐島容疑者を除く9人が逮捕された。