あなたは日ごろの生活で「老い」を感じることはあるだろうか。物忘れが増えた、おっくうなことが増えた、肌のはりが無くなったなど、一定の年齢以上になると、この質問に悩まずに答えられる人は少ないのではないだろうか。そして、最初に思いつく答えの多くはネガティブなものではないか。
反対に、老いたことにより良かったことはないだろうか。これは、苫小牧市高砂町にある正光寺で開かれた仏教×老年学の講座で、京都の僧侶の方から投げ掛けられた質問の一つである。質問に対して、参加した方々のいろいろな答えを聞いた。正解があるわけではないので、皆さんにもぜひ考えてみていただきたいと思う。一般的に老いにはネガティブなイメージがあるだろうが、良い面から見ると、他の考えが見つかるのかもしれない。同じ老いでも考え方によって見え方が違ってくる。
この質問の後、仏教から見た老いについての話を聞かせていただいた。正直、私は仏教よりも老年学に興味を持って参加した。老年看護学の視点で見ていた老いを、仏教という視点で考えると、また違う世界が見えると感じた。私の好きな絵本には、リンゴが「僕から見えない反対側はみかんなのかもしれない」という一文がある。見る方向が違えば違うものになるのかもしれないし、リンゴとミカンは果実という意味では同じものなのかもしれない。同じ「老い」でも見る角度によっても見え方が違ってくる。
いろいろな考え方、角度の視点を持つことは、自分の視野を広げてくれるのだろう。今年はいつもとは違う分野に興味を向けたいと思う。
(コミュニティナース・苫小牧)