冬は突然やって来た。あまりに急に寒くなったから、本当はずっとそこにいたのではないかとすら思う。町の上にかぶせられていた暖かいベールを、誰かがふっと一息で飛ばしてしまったようだった。毎年のことなのになぜかいつも少し遅れてしまう僕の衣替えを尻目に、自然の木々は季節に合わせて着々と姿を変えていく。道沿いを彩る木の葉を見て「あの紅葉がきれいだよ」と誰かに伝えるより先に、鮮やかな色づきが旬を過ぎていく。
冬支度の中でモミジやイチョウの葉が色を変えるのは、クロロフィルという緑の色素が分解されて養分になるためだという。つまり、秋になると鮮やかに見える赤や黄色は、実は秋よりも前にそこにあるということ。夏の間は緑の色素に隠れて目には見えていないだけで、赤や黄色の色素は冬に近づくにつれて見えやすくなる。
日々の活動の中で関わる高校生たちの表情や性格が、ある時大きく変わったように見えることがある。これは成長というよりもむしろ共に過ごす時間の中で彼ら彼女らがもともと持っていた別の一面が解き放たれるようで、どこか紅葉と重なる。人からどう見られるかを気にする生徒は多いが、自分が持つ多様で複雑な側面の一つ一つを大切にしてほしい。
人から求められる表面上の分かりやすさよりも、自分の内面にあるさまざまな色に目を凝らすことから、他人に対してもまた言葉や表情の奥にある多様な価値観をおもんぱかることができるようになるはずだ。人は簡単には分かり合えないが、分かりたい生き物だと思う。たった一枚の同じ葉が季節の中で違う色を映し出す時、言の葉の奥に小さな願いを乗せてみる。(厚真町地域おこし協力隊)