昭和58(1983)年は、倒産ラッシュの年であった。苫小牧圏の負債額1000万円以上の企業倒産は137件を数え、中でも建設業が63件で、圧倒的に多かった。全国を見れば景気は緩やかながら回復しつつあった。しかし、北海道でそれが見られなかったのは、この時の景気回復のリード役であった輸出産業が北海道にはなかったからであり、苫小牧圏が特にひどかったのはこの圏域の経済が頼りにしていた公共事業が減少を続けているからであった。「苫東だ」「開発だ」との叫びに全国から集まった企業は大小零細2000に上ったという。その企業の多くが、はしごを外されて苦悩し、苫東の見直しが現実のものとなったこの年、大泉市政最後の大仕事の市役所新庁舎が完成し、そのいすには板谷実新市長が座った。
■新庁舎建設と記念行事
新庁舎建設は、この年まで5期にわたって市政を担ってきた大泉市長の総仕上げの大型事業であった。
庁舎は昭和56年10月に着工し、同58年3月に完成した。地下1階、地上12階(この上に塔屋1階)一部3階建て、鉄骨造り一部鉄筋コンクリート造り。庁舎の高さは53・8メートルあり、12階は展望回廊になっていて、市内をほぼ360度見渡すことができる。
総事業費は当初63億円と見積もっていたが設計変更などで大型補正し、結局70億円余りに膨らんだ。それに談合疑惑、建築確認申請の不手際により認可前に着工してしまった事前着工、外観が現れてからは外壁のデザインがプレハブ造りのようだなどという不評もあり、さらに維持管理費の急増など新庁舎を巡る話題は尽きなかった。
実を言えば、竣工(しゅんこう)直後の4月に就任した板谷實新市長は就任以前、この新庁舎建設に批判的な立場を取っていた一人。それが、この庁舎の中心に座ることになった。だから、派手な記念行事などできようはずもない。
その記念行事が完成後半年以上を経てから行われた。11月18日、新庁舎中央ホールでは着工の昭和56年10月21日に生まれた6人の幼児(2歳)が市民や市職員が見守る中でくす玉を割り、拍手が湧いた。このあと中央玄関前で小中学生と市長、市議会議長らがナナカマドなど10本を記念植樹。また、18、19の両日午後8時まで12階の展望回廊を一般公開し、無料市営バスも運行して多くの市民が苫小牧の景色を楽しんだ。
市当局は「華美な祝賀行事を避けて、市民参加によるささやかだが温かみのある記念行事をしました」と強調した。
■民間出身市長誕生
この年4月の苫小牧市長選挙。保守・中道の板谷実氏(会社役員)、保守の島美樹二氏(前助役)、革新の鳥越忠行氏(前市議)が激戦を展開し、民間出身の板谷氏が市長の座に就いた。
板谷新市長は5月2日午前9時半、市職員の歓迎の拍手の中を初登庁。午前11時からは9階会議室で就任あいさつ。
「大泉前市長は戦後の荒廃の中から目を見張る発展を成し遂げた名市長。(自分は)若輩者であり、皆さまの協力を得て大過なく過ごすことができれば幸い」と職員の協力を求め、今後の市政の進め方については「私も含めて市職員はすべて主人公である15万6000市民の公僕であるという理念に立って行動してもらいたい」「持てる力を十二分に発揮され、それが市民サービスに跳ね返るような仕事を」と市職員としての心構えを繰り返した。
市長の座に就いた板谷氏は、助役2人の庁内登用、市幹部職員の辞表を受け付けないとして選挙のしこりを残さない配慮をしつつ、部長ポストの総入れ替えを断行し、部の統廃合を含む機構改革を実施するなど板谷体制づくりに取り組み、「企業誘致はお願いして来ていただくもの」と進出企業への優遇措置の検討を表明。国立大誘致一本だった大学誘致運動を私立大誘致にも枠を広げ、政策的な路線変更を強調した。
■苫東見直し
「第1次オイルショックがもう5年遅く襲来していたら、苫小牧は大変なことになっていた」(進出企業社長)。
その10年ほど前、多くの石油化学企業が苫東進出を構想していた。それが第1次ショックで足踏みしているうちに時流が変わり、重厚長大の時代は過ぎ去っていく。もし、第1次オイルショックが5年遅ければ、すでにそれらの企業は立地しており、それらのうち幾つかの事業所がつぶれていたかもしれない。「だから、第1次オイルショックは苫小牧にとって”神風”であったかもしれない」(同)というのだ。
これに呼応して苫小牧民報は次のように論陣を張る。「苫東、開発は手段であって目的ではない。それが、目的のようになってしまっていた。もしそうなら開発が終わった時、目的を失ってしまうではないか」「企業を誘致したとしても、地元資本が地元法人をつくって参加していかねば、経済の自立はほど遠い」「大きくて広いことが”えらい”ことだったのは過去の話。いまや空港が近くにあったり、独特の技術が培われていたり、便利な住みやすいところだったりする方がよっぽど”えらい”と評価される時代だ」
苫小牧市など地元2市3町と、道、道開発庁、苫小牧港管理組合、第三セクターの苫小牧東部開発の9者で構成する苫小牧東部大規模工業開発連絡協議会(会長・横路孝弘道知事、通称9者連)は9月、(1)工業用地原価縮減(2)誘致条件の整備(3)地元産業活用―などを内容として計画の軌道修正に取り組むことになった。
大規模開発苫東に、やっと見直しの時がやってきた。
一耕社代表・新沼友啓
《この年の出来事》
NHK連続テレビ小説「おしん」放映。大反響で「オシンドローム/東京ディズニーランド開園。入場者数800万人突破/日本最初の体外受精実施で論争/アクエリアス、カロリーメイト、パックンチョ、チョコパイ新発売/ファミコン(任天堂)発売開始
1月22日 環濠(静川遺跡)を守る「苫東遺跡を考える会」が発足、会長は森田勇氏
4月1日 苫小牧市役所の新庁舎オープン
8日 明徳小学校開校式。錦岡小から単独分離
25日 苫小牧市長に板谷実氏が当選。5月2日初登庁「公僕の立場忘れずに明るい市役所に」と職員訓示
5月1日 改修工事で使用が遅れていた市営球場が新装オープン
7月1日 いすゞ自動車北海道工場4課制で発足。59年6月操業開始
10月22日 苫小牧工業高校創立60周年・校舎移転新築記念式典
28日 樽前山ドーム西側火口原に新噴気孔と熱異常帯発見
11月30日 道央自動車道苫小牧西—白老間が開通
12月16日 苫小牧市博物館、同埋蔵文化財調査センター建設に着手。建設安全祈願祭
苫小牧商工会議所の第82回臨時議員総会が9月7日開催され、新役員体制が決まり、新会頭には阿部敏雄氏が選任された。以下は、苫小牧民報社・炭谷肇社長(当時)との対談での阿部会頭の発言(抜粋)。
「会議所は誰の責任というんじゃなくて、何か庶民的ではない感じがするようになった。そこら辺で私は、内部的な改革はしなければと思うんです。会員のためになることをしたい」
「東部(苫東)の問題、企業誘致などは根本的に見直してみる必要がある。北海道が見直し論をやっていますが、私たちも企業誘致の際に、どんな優遇措置があるのかを聞かれても土地は高いし、誘致条例はないし、ただ出てきてというだけ」
「中心商店街の活性化には全力を傾注します。トピア(再開発ビルのテナントが決まらない)問題は今まで模索してきました。生協がテナントに入るという話が出ましたが、生協だからだめだと私は考えていない。どこまで商業者の理解が得られるか、資金面で調整はできるのかが問題。生協も地元商業界の中に入って仲良くしていきたいという政策の一端ではないでしょうか。市も再開発事業のためにもっと積極的な姿勢を見せてほしい」
(苫小牧民報、昭和58年11月8日付より)