2018年9月6日の胆振東部地震で母親の中村ミヨさん=当時(76)=を亡くした厚真町新町の会社員中村忠雄さん(62)は7日、町総合福祉センターで行われた追悼式で遺族代表としてあいさつした後、報道陣の取材に応じた。「6年の月日が流れているが、災害を忘れてはならない」と風化への危機感をにじませた一方、「若い人が来るような厚真町になってほしい」と望んだ。
中村さんは地震が起きるまで、町幌里でミヨさん、弟と3人で暮らしていた。ミヨさんは厳しくも優しい性格で、早朝から自宅近くのビニールハウスや畑で家庭菜園や花の手入れをするのが好きだった。取ったばかりの野菜で料理を作り、朝の食卓に用意してくれることもあったという。
普段通りの朝を迎えようとしていた18年9月6日、地震が発生して裏山が崩れた。2階建ての家は流れ込んできた土砂で全壊し、1階部分が押しつぶされてミヨさんが犠牲になった。中村さんは悲しみに暮れ、夢で母の姿を見るようになった。
それでも懸命に前を向いて日々を過ごしていた数年後のある日、家があった場所に、ミヨさんが手入れをしていた花がきれいに咲いていた。雑草が伸びる中で懸命に咲く姿は母のように力強く、「しっかりやりなさい」と温かいまなざしを注がれたように感じた。
さらに月日が流れ、今はミヨさんが夢に出ることはなくなった。「無意識に気持ちが落ち着いてきたのだと思う」と話す。
今回、遺族代表のあいさつを引き受けたのは「二度と悲しみを生みたくない、災害を忘れない」との思いからだった。
あいさつでは、6日に七回忌を迎え、「仏壇に手を合わせ、現状の報告やきょうだいで元気にやっていることを話した」と述べた。
また、厚真町職員が能登半島地震の被災地に派遣され、被災者支援の一助を担ったこと、町内の小中高生が防災や減災を学んでいることに触れ、「私たちは、あの地震で大きな被害を受け、大切なものを失ったが、(被災経験は)さまざまな形で次の世代や被災地に生かされている」とし、「残された者の使命として、力を合わせて、皆さんの遺志を受け継いでいきたい」と語った。