10歳の時、苫小牧空襲を経験しました。サイレンが鳴り響き、母と妹、弟を連れて防空壕(ごう)に避難した記憶があります。その中で、米軍の爆撃機が攻撃してくるのを見上げていました。
海上からの艦船による艦砲射撃の際は家族と家にいましたが、突然「ドーン」という大きな音が聞こえた後、ビリビリと窓ガラスが揺れたのを覚えています。攻撃が収まり、翌朝西小学校に登校すると校舎近くの家の庭に3~4メートルの大きな穴が開いていて驚きました。
父が不在で長男だったこともあり、私が家族を守らなければならないと思いました。当時は食べ物や衣服が満足に割り当てられませんでしたが日本のために軍人が頑張ってくれていると思うと我慢できました。
終戦はその1カ月後。家を訪ねてきた父親の友人から「日本が負けた」と聞きました。ラジオの電波が悪く、玉音放送の内容は聴き取れませんでした。同級生は皆、軍人に憧れを抱いていたので日本が負けた事実を受け止められない様子でした。
その頃、市内には遊郭があり、軍服を着た米兵が街中を歩いたり、ジープで移動したりしてる姿をよく目にしました。同級生が米兵からもらったチューインガムやチョコレートを食べて「甘い」と言っていたのが印象的です。
戦争は互いを滅ぼし合うだけで、何も生まないことを学びました。今も世界で戦争が続いている事実をニュースで知るたび心が痛みます。空襲は遠い場所での出来事ではなく、苫小牧でもありました。同年代の人たちが次々と他界していく中、戦争を経験していない世代に伝えていかなければいけないと強く感じています。
(終わり)