苫小牧市真砂町のエネルギー業、出光興産北海道製油所は24日、操業開始から50周年の節目を迎えた。1973年から北海道や東北に石油製品を供給する一大拠点として事業を展開。同社創業者の出光佐三氏が第一義に掲げた「人間尊重」精神の下、地域と共に栄える理想を追求してきた。半世紀に及ぶ歩みに迫る。
出光興産が苫小牧進出を決めたのは61年。世界初の内陸掘込式港湾となる苫小牧港の開港(63年)より2年も早かった。まだ荒野だった臨海部で真っ先に、しかも大企業が手を挙げる形。同社としては北海道の市場開拓、さらにはロシア原油の輸入を目指した判断だが、その後の苫小牧港発展を約束する出来事となった。
64年12月に苫小牧港開発から用地を取得し、正式に進出が決定。度重なる中東戦争で石油危機が叫ばれた時代。73年9月に製油所は竣工(しゅんこう)し、森久初代所長は本紙に「幸いソ連(現ロシア)ルートがある。アラスカ原油、中国原油も今後は注目しなくてはならない大きな含みもあり、苫小牧に製油所を造り資源確保しようとなった」と明かした。
総工費360億円を投入し、日産7万バレルの原油精製能力を持つ常圧蒸留装置をはじめ、57万キロリットルの原油貯蔵タンク、16万キロリットルの製品、半製品の貯蔵タンクなどを建設。さらに製油所から南の3キロ沖合に世界最大級の外洋シーバース(海上係留荷役施設)を整備した。海外から大型タンカーで運んだ原油を、海底パイプラインを通して陸上のタンクに送り、精製する。
石油製品は道内はもとより、東北、北陸地方まで行き渡る。ガソリンや暖房用の灯油、軽油と需要は高く、エネルギーを安定供給するため設備を年々増強。現在の原油精製能力は操業当初の2倍以上となる日産15万バレルを誇る。2014年には原油処理量2億キロリットルの大台に乗り、JX日鉱日石エネルギー室蘭製油所(室蘭市)の停止で本道唯一の製油所となった。今年3月には半世紀の歩みを象徴するように、シーバースの原油タンカー受け入れも1000隻に到達した。
市がまとめる工業統計によると、石油製品・石炭製品製造業の製造品出荷額は、製油所完成以前は年数億円程度だったが、1973年の操業初年度に100億円を記録し、2年後の75年には1000億円を突破した。2019年は約7460億円で出荷総額の約56%を占め、市内の基幹産業である紙・パ(約9%)、自動車部品製造(約21%)と比べても群を抜く。
ただ、決して順風満帆な道のりではなかった。00年2月には石油コンビナート地区では初の大規模火災を起こし、03年9月の十勝沖地震に起因する2度のタンク火災は国内初の事例になった。引火性のある危険物を扱う製油所で、あってはならない事故が相次ぎ、市民をはじめ各界各層は厳しい視線を注いだ。
製油所では再発防止を誓い、安全安定操業のさらなる強化を図ってきた。タンク火災翌年から地域住民や関係機関と安全対策、環境保全について話し合う懇談会を毎年開催。市内小学校への出前授業、製油所見学受け入れ、とまこまい港まつりの市民おどり参加など、「地域と共に栄える」理想を胸に信頼回復にも努めた。山岸孝司所長は「この理想はこれまでも、これからも、変わらない製油所の方針」と力を込める。
◇出光興産北海道製油所の主な歩み
1964年 苫小牧港臨海部の用地取得
71年 北海道製油所起工
73年 北海道製油所竣工(しゅんこう)
84年 重質軽油水素化分解装置稼働
86年 減圧蒸留装置稼働
87年 出光100ガソリン初出荷
90年 出光スーパーゼアス初出荷
94年 重質油分解装置稼働
96年 ISO9002認証取得、軽油深度脱硫装置稼働
98年 ISO14001認証取得
2000年 石油コンビナート地区で初の火災事故
03年 十勝沖地震でタンク火災発生
05年 サルファーフリーガソリン出荷開始
06年 「Music in Museum」(現みらいを奏でる音楽会)開始
07年 地元小学生向けの出前授業開始
08年 ヤエザクラ並木の一般公開開始
10年 都市緑化機構認定の社会・環境貢献緑地評価システム(シージェス)初取得
14年 緑化優良工場等経済産業大臣賞受賞
16年 出光カルチャーパークのネーミングライツ取得、CCS大規模実証プロジェクトへの協力開始
19年 シージェス最高位のスパラティブステージ取得
21年 スーパー認定事業所認定取得、超小型EV(電気自動車)導入
22年 みどりの社会貢献賞受賞、風力発電事業化に向けた調査開始
23年 CCS事業検討調査開始