2年前に厚真町に移住してきた僕は、胆振東部地震が起きたその日のことを何も知らない。突然の大きな揺れも、停電の夜も、大きな被害を生んだ土砂崩れも知らない。当時はテレビのニュースで見た程度で、情報をなぞったところで、本当の意味ではきっと何も知らないのだと思う。行きつけのスナックでふとした拍子に当時のことを直接聞くことがあるけれど、どれだけ聞いても、僕がその日を知ることはこの先もないのだ。語る人を前にするたびにそう思う。
震災を知ろうとすると、そこにいなかった僕と町との間に壁が生じる。地震が起きるずっと昔から、この場所には人の暮らしがあって、その暮らしを愛していたからこそ、住んでいた方々の悲しみは大きいからだ。
僕にできることは、ただ生きることだけ。この町に生きて、この暮らしを大切にする人たちに囲まれて、その思いを共に感じていくこと。その過程で、いろいろな人の記憶に触れる。家族や仲間と学び、働き、語り、笑い合った記憶。どんな人がいて、どんなことを話し、どんなことを思ったのか。たった一日ですべてが失われたわけじゃない。かつて愛した暮らしの記憶は、愛する暮らしの中で受け継いでいける。
地震の前も後も、きょうを生きて、生きて、生き続けた人がいる。その人たちの記憶に触れるたび、僕は同じ町で、同じ時代を生きる人になっていく。「その日」を知ることはできずとも、そばにいて過去を語り合い、未来を一緒に考える人になる。
黙とうの1分間、僕は亡くなった人ではなく、この町に生きた人たちへ、きょうも生きるすべての人たちへ、思いをはせる。死んだんじゃない、生きていたんだ。そう思っていたい。
(厚真町地域おこし協力隊)