<9>昭和28年 勇払原野に米軍演習場接収計画 苫西高火災きっかけに民家がトタン屋根に

  • 特集, 郷土の戦後昭和史
  • 2023年8月29日
夜が明けて、焼け残った校舎を見る人々(昭和28年12月8日午前)
夜が明けて、焼け残った校舎を見る人々(昭和28年12月8日午前)
王子製紙のポンプ車。後ろは連絡用の小型車らしい(昭和28年ごろ)
王子製紙のポンプ車。後ろは連絡用の小型車らしい(昭和28年ごろ)
昭和28年8月の住宅博覧会で建てられたブロック住宅(昭和30年撮影)
昭和28年8月の住宅博覧会で建てられたブロック住宅(昭和30年撮影)
堀江政之苫小牧市消防長
堀江政之苫小牧市消防長
火災時の校舎配置図(1階)と消失箇所(赤斜線部分)
火災時の校舎配置図(1階)と消失箇所(赤斜線部分)

 

 昭和28(1953)年は、戦後という時代の将来がわずかに見え隠れした初年だったかもしれない。前年、サンフランシスコ講和条約が成り、占領地日本に主権が戻った。それとともに、それまで何につけ泣き寝入りだった米軍基地や演習場接収の問題が表面化した。朝鮮戦争は終わったが、日本の軍事的重要性は高まり、講和と共に発足した保安隊は大演習を行い、翌年は自衛隊に転身する。民生ではテレビ放送が始まりマスメディアの時代が幕を開けた。ようやく食は足りて落ち着いたかに見えたこの年のあちこちに、次の時代への火種が見えた。

  

 ■米軍の勇払原野接収計画

  

 米軍演習場の接収問題は苫小牧でも深刻だった。当時の苫小牧民報には関連報道が数次にわたって掲載されている。それによれば朝鮮戦争が始まった昭和25年ごろから米軍の演習場として勇払海岸や開拓地などが使われた。占領時代、それによる被害には泣き寝入りするしかない。しかし、講和条約以降、これが表面化し、昭和28年には演習に関わる農林水産業の被害に対して、損害賠償を求めるようになった。苫小牧では苫小牧市、王子製紙、北炭、勇払農事会社、その他関係者から成る「調達協力会」を発足させ、補償金額の査定や交渉を行ったのである。

 その米軍の勇払原野演習場接収計画はどんなだったのか。

 「外交史料館所蔵の『極秘文書』によれば、中野地区から勇払海岸、内陸は沼ノ端、植苗、高丘地区にかけての広大な勇払原野を米軍が演習場として接収する計画だった。これに対し地元は、田中正太郎市長を先頭に開拓団などが挙(こぞ)って異を唱え、実現を防いだことが関連資料から分かる」(概要「月刊ひらく」)。

 これらの詳細は苫小牧市史にほとんど触れられておらず、郷土史の貴重な掘り起こしにつながる。

  

 ■火災続発、苫西高も焼失

  

 民生を見れば、苫小牧でのテレビの普及は東京よりやや遅れて昭和31年ごろとなる。苫小牧ではむしろその前段の住宅の近代化、耐寒耐火住宅への転換が大きな問題となっていた。重大な火災が連続したのである。

 すなわち昭和22年の苫小牧工業学校火災、同23年の飲食店を火元とする11戸の焼失、同24年の製材所火災(2件)、同26年の呉服店火災、同27年には民家を火元として19戸が焼ける大火事があった。そして同28年、老舗の布団店と料理店の火災に続いて12月、当時、現在の矢代町にあった苫小牧西高校が体育館など一部を残して全焼する火災が連続した。

 12月8日。苫西高の公務補であった橋本甚之助氏(当時69歳、以下各氏敬称略)は午前0時50分、深夜の見回りを終え、公務補室で休憩していた。するとパツパチと雨でも降るような音が聞こえ、「はて」と窓を開けて見ると、正面二階右側の教室の煙突の支柱に火がついて燃え上がっているではないか。橋本はすぐさま宿直室の教員に知らせると共に、二階に駆け上がり、防火用水をバケツに汲(く)んで教室に飛び込んだ。しかし、すでに火勢は強く、初期消火を諦め、事務室から重要書類を運び出したのだった。(以上「火災報告」より)

  

 ■消防車ありったけで11台

  

 この頃、消防署は新川通と三条通の丁字路王子側にあった。現在の王子製紙南門の脇である。望楼があり、楼の上で署員が街の異常を眺め渡す。発見と同時にポンプ車7台と指令車が出動。同時にこの頃苫小牧消防第二分団として機能していた王子製紙の消防隊からもポンプ車4台が出動した。これが、苫小牧で動かせる消防車のありったけであった。

 この「ありったけ」をどう配置するか。当時は北の風、風速2メートル。風下には西小学校と民家が数軒、やや東寄りに林務所、そして燃える校舎の東隣に生徒たちの寄宿舎(学生寮)がある。今に残っている「火災防御行動図」を見ると、燃え盛る西高校舎となお健在な西小の間に2台、林務所と寄宿舎を背にして3台、水槽を備えた消防車が並ぶ。この主力5台で他の施設への延焼を防ごうというのだ。西小や付近の民家では屋根の上に人々が鈴なりに登って、火の粉を払い落とし、バケツリレーで水を掛けていた。

 この火災で、苫西高は体育館、武道室などを除き、木造2階建て亜鉛鉄板葺きの本校舎をほぼ全焼。しかし、幸いな事に他への延焼は免れたのだった。

  

 ■柾屋根家屋から「文化住宅」へ

  

 この年8月、苫小牧開基80周年・市制施行5周年の記念行事が催された。そのメイン行事が同月13日からの「住宅博覧会」であった。会場は、牧場と草原でしかなかった西町(現在の大成町)。10坪ほどの、今考えるなら実に狭い住宅だが、耐寒・耐火のブロック住宅20戸が建設(建て売り)され、ラジオ館、電気館、児童作品館などの特設会場が設けられた。期間中の11日間、臨時バス、臨時列車も出て市民や郡部から訪れた人たちが「建築の粋を集めた文化住宅に目を見張った」(苫小牧民報、昭和28年8月15日付)。

 当時の民家は柾屋根(薄い板を重ねた屋根)が多い。昭和31年7月15日現在、苫小牧市内総棟数6590棟のうち亜鉛葺(トタン屋根など)が50・12%、柾葺が45・72%で、ほか瓦屋根などがわずかにあった。市内の建築物のまだ半数が柾屋根だったのである。いや、王子社宅の90%以上、公営住宅や商店などの60~70%が亜鉛葺きであった事を考えると、一般民家は7~8割が柾屋根だった。これらが昭和28年以降、相次ぐ火災の恐ろしさから急速に亜鉛葺きへと変わっていく。同年から開始されたテレビ放送は3年ほどで苫小牧にも波及し、柾屋根が連なる住宅地は、トタン屋根の上にテレビアンテナが林立する風景へと移り変わっていく。

  

一耕社代表・新沼友啓

  

 ■火災が多かった昭和28年

  

 昭和31年2月、当時の苫小牧市消防長・堀江政之氏は火災が多かった昭和28年当時を振り返りながら次のように話している。

 「昨年(昭和30年)は火事が少なくて大助かりでしたよ。28年あたりに比べたら10分の1くらいの損害しかなかったですからね。これは王子が協力してくれるからで非常に感謝しております。何しろ今あるポンプ車8台のうち4台が老朽していて、いつ故障するかもしれませんからね。王子の4台あるポンプはイザというときのニラミでもありますよ。

 来年度あたりは緑町方面に出張所を設けようと思っております。つい二、三年前までは郊外といった感じだったんですが、いまではもう立派な町ですからね。また今年あたり都市計画のなかに、防火地帯を設けてもらいたいものです。この防火地帯というのは一条通りならそこに新築する場合耐火建築しなければならんというもんなんです。このぐらいの都市で準防火地帯を設けていないのは苫小牧ばかりですかね。これはぜひ必要だと思っております」

 (昭和31年1月1日付「苫小牧民報」概要)

  

 【昭和28年】

  

 苫小牧市の世帯数(戸数)9,351戸、人口47,558人

  

 【日米交歓アイスホッケー大会結果】

 ▽1月19日、王子リンク

 ・米国3M 7(3―1/2―4/2―1)6 岩倉組

 ▽1月20日、王子リンク

 ・王子 2(1―1/1―0/0―0)1 米国3M

  

 1月19日   「3M」チーム来苫し、日米アイスホッケー大会開く

 4月      北海道苫小牧高等学校を東西両校に分離し、北海道苫小牧東高等学校、および同苫小牧西高等学校とする

 6月      苫小牧公設魚菜卸売市場設立

 7月      駅前通り舗装工事完成

 8月11日   苫小牧市開基80周年、市制5周年記念式挙行

 8月13日   住宅博覧会開催(現在の大成町)

 8月      小保方卯市、初の名誉市民となる

 12月 8日 苫小牧西高校校舎焼失

 12月12日 市設小売市場(1階店舗、2階~4階市営アパート)本町に設置

  

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