白老町の旧社台小学校校庭の一角にある、仙台藩陣屋3代目代官、草刈運太郎(1819年~68年)の墓碑前で25日、供養祭が地元や近隣の郷土史愛好家6人によってしめやかに執り行われた。草刈氏の没後155年で、墓前での僧による読経が15年ぶりに行われ、参列者は1人ずつ焼香し、墓碑に手を合わせた。
草刈氏は仙台藩士で、67(慶応3)年に仙台藩陣屋の3代目代官となった。倒幕のきっかけになった戊辰戦争が起き、薩摩藩や長州藩を中心とした新政府軍が迫っていると聞いた同僚が逃亡する中、藩の民政責任者として、陣屋にとどまった。新政府軍の狼藉に抗議した際に深手を負い、傷が癒えないまま68(同4)年8月25日、社台の前浜で自刃した。享年49。
墓碑は、旧仙台藩士で画家の茂庭竹泉が83(明治16)年、登別軟石を使って建立した。1968年に草刈運太郎史跡保存会(後の社台史蹟保存会)が発足し、翌69年に木造の奥屋が墓碑に設置されたが、93年に町の「屋根のない博物館」構想の一つに数えられ、旧社台小校庭の一角に移設された。
墓前祭は、同保存会が2008年に解散するまで毎年夏に執り行ってきたが、09年以降は途絶えていた。
郷土史に関心を持つ苫小牧市永福町の会社員、吉野隆幸さん(67)は状況を知り、白老町では仙台藩士供養祭が毎夏あることから、草刈氏の供養も行われるべきではと考えるように。郷土史研究で旧知の仲の仙台藩白老元陣屋資料館の武永真館長(60)と同館友の会の川西政幸会長(80)の3人で供養祭を墓前で行い、今年は新たな有志3人を迎えて行った。
読経は町本町にある眞證寺の若林尚道副住職が担った。社台小が廃校した16年以降は、草刈氏の功績を伝える地域の活動に目立った動きはないことから、吉野さんは「昨年は3人、今年は6人。来年以降は、10人以上の人たちと功績をしのび、墓前で手を合わせたい」と語った。